≪ Chapter of Siba.Atago lineup ≫
浜離宮→芝離宮→
芝大神宮→増上寺→
芝東照宮→
妙定院→金地院→
青松寺→NHK放送博物館→
愛宕神社→栄閑院
(左)いわゆる「時の鐘」だったらしきもの。4代将軍徳川家綱の命により鋳造されたとある。
(右)「安国殿」。徳川家康が信仰したという秘仏 黒本尊なる釈迦如来を祀っている。
風車を持つ地蔵の群れ。千躰地蔵尊とある。
(左)「熊野神社」の手水。増上寺の鎮守として勧請された神社であるという。
(右)め組の碑。増上寺門前の町火消し「め組」の殉死者供養のために建てられたものらしい。
江戸の風情が残る築地塀。
(左)徳川将軍墓所の前に立つ「鋳抜門」。内部は通常非公開。
六代将軍 徳川家宣の霊廟の宝塔前に建っていた中門だとか。
(徳川家霊廟公開時の模様)
(左)「貞恭庵」。皇女和宮の茶室だって書いてある。
(左)「景光殿」とある門。江戸時代のもので、区の文化財らしい。
(右)旧方丈門(黒門)。慶安年間のもので、これも区の文化財らしい。
需要文化財の「旧台徳院霊廟惣門」。寛永年間に建立された二代将軍 徳川秀忠の霊廟の正門だったという。
かつて増上寺には、日光に引けを取らない霊廟建築が存在したといい、僅かに往時を偲ばせる遺構と言えるだろう。
門をくぐると、やや高い場所に上がる。
増上寺から芝公園を芝公園駅方向に少し歩くと芝東照宮がある。
元々は、増上寺の子院「安国殿」であったものが神仏分離に際し独立したといい、「東照宮」なので当然、徳川家康を祀っている。
その「安国殿」は、たぶん、増上寺境内にあった「安国殿」の事であると思われるが定かではない。
建造物は空襲で壊滅したため、現在の社殿は昭和再建のものらしい。
となりには梅林がある。
芝公園の一角には古墳もある。石器時代の前方後円墳らしく、現在は散歩道になっている。
(右)“虎”しか写ってないが、昭和の政治家「大野伴睦の句碑」らしい。
(左)「円山随身稲荷大明神」と案内板にある。増上寺の裏鬼門に位置し山内鎮守に重要・・・云々が書いてある。
(右)古墳の頂上にある「伊能忠敬測地遺功表碑」。なんでここにあるのかは知らない。
芝公園の端っこを寸断する都道319号環状三号線に出てきた。
正面は、麻布・六本木方面方面らしい。
右側が芝公園で、先ほどの丸山古墳はやや後方にある。
左手には、増上寺子院の一つ妙定院がある。
プリンスタワー東京の向かいにある小さな浄土宗寺院が妙定院だ。
都道319号線と首都高都心環状線に挟まれ窮屈な印象を受ける。
妙定院は、九代将軍徳川家重の位牌所として創建された増上寺別院であるという。
普段は、あまり目に留まるような場所ではないと思われるが、都の文化財ウィークにおいて境内を公開している。
その日の日記
本堂など境内の建物は空襲で消失し昭和の再建であるというが、消失を免れた2棟の蔵が文化財の指定を受けている。
(右)内部が公開されていた熊野堂。寛政八年の土蔵であるというが解体修理されたとかで新築のように見える。
(左)文化八年の建立だとある上土蔵。
(中)本堂前の石燈籠は、肥前国唐津藩主 土井利里が奉納したもの。
(右)案内板によると、元伯爵家 万里小路家の墓所であるらしい。“皇太后宮大夫 正二位勲三等 万里小路博房卿”と見える。
都道319号を赤羽橋交差点まで来て振り返った感じだ。
ここで、桜田通りや都道301号と交差している。
ここからは、芝公園の裏手に回り都道301号白山祝田田町線を進む。
東京タワーを掠めて愛宕方面へと向かうルートだ。
芝公園を半周回って裏側って感じであろうか。「弁天池」だという水たまりがある。
そこにあるのは「宝珠院」という地味な浄土宗のお寺。
増上寺三十世霊玄上人による建立であるといい、港区の七福神にラインナップされているらしい。
閻魔堂(中)と弁天堂(右)がある。