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芝大門


増上寺の総門にあたるという昭和12年コンクリート製の芝大門。
このあたりは、増上寺の参道で門前町が広がっていたはずだ。
現在は、ビルが立ち並んでいるが、周辺には増上寺の子院らしき寺院が
いくつも残っている。



芝大神宮


参道


大門から増上寺へと続くストレートを少し逸れた所に芝大神宮という神社がある。
小さな神社であるが、創建は平安時代と長い歴史を持ち、明治期には准勅祭社とされた東京十社の1社として高いステータスを誇っていた。
江戸時代の増上寺が庶民にオープンな場所でなかったこともあってか、 このあたりでは人気の名所であったようなのだが、なんでも、 関東における伊勢信仰の中心的な拠点であったという。
手近な、お伊勢参りだったのだろう。



参道は長いが境内は手狭な印象だ。
(右)生姜塚なるもの。昔は生姜畑の多い土地柄であり、祭礼では、生姜を授与する伝統があるんだとか。

鳥居 生姜塚

(左)昭和再建の社殿。伊勢神宮系列なので、当然、主祭神は天照大御神で、建物は、たぶん神明造。
(中)「め組」の奉納らしき狛犬。
文化年間、この境内で、火消しvs江戸相撲力士の乱闘事件「め組の喧嘩」が勃発したのだという。

狛犬 社殿

増上寺


江戸時代、芝公園(東京タワーやプリンスホテルなども)から浜松町にかけては、すべて増上寺の境内であったという。
室町時代創建とされる「浄土宗 増上寺」は、なんといっても徳川家の菩提寺として名を馳せた寺院だ。
徳川将軍家の菩提寺としては、天台宗 寛永寺という強力なライバルが現れるのであるが、 そこは、戦国の世と違い宗派間の武力衝突など起ろうはずもなく、 落としどころとしては、将軍の墓所を交替で造営しようってことで決着したらしい。
明治以降は、神仏分離の影響から境内は縮小し、火災にも見舞われるなど苦境に立ち、 太平洋戦争の空襲では壊滅的打撃を被っている。
しかし、寛永寺のよう完全に公園にされてしまうようなことはなく、現在では庶民もお参りする名刹として存続している。

御忌大会の行列   徳川家霊廟公開


三解脱門(三門) ペルリ像


東京タワーをバックに増上寺のメインゲート三解脱門が見える。
増上寺を囲む芝公園は道路に寸断されながらホテル、図書館などの公共施設、グラウンド、古墳など雑多なもので構成されている。
公園の片隅に「ペルリ提督の像」なんてのがある。
“昭和28年7月20日、日本開国百年記念祭挙行のとき、東京都民からニューポート市に、石灯籠1基を贈った答礼としてこの像を受けたもの”だとか。
境内に入る前に、まずは、ちょっと御成門駅の方へと向かう。



地下鉄御成門駅付近の芝公園に重要文化財に指定されている門が2つある。
(左)これが「御成門」。将軍が参拝の折に利用したという。
(右)享保年間のものらしい「有章院霊廟二天門」。第7代将軍徳川家継の霊廟にあったものだ。

御成門 有章院霊廟二天門

付近の歩道橋から増上寺方面を見たところ。
眼下の道路は、有楽町から芝浦を結ぶ、都道409号日比谷芝浦線で増上寺はこの道沿いにある。
右側の屋根は、東京プリンスホテルの前に立つ「有章院霊廟二天門」。メインゲートの「三解脱門」はその先にある。
(左)二天門の仁王像。門も像も保存状態が良いようには見えないが、如何にも古めかしく感じる。

仁王像 仁王像

増上寺の山門「三解脱門」は、空襲をくぐり抜けた、江戸初期のものが残っており重要文化財となっている。
本堂の大殿は昭和49年に再建されたもので本尊は阿弥陀如来。赤い建物はバックに聳える東京タワーとマッチして見える。

三解脱門(三門) 大殿

(左)この水盤舎は、甲府宰相綱重の霊廟にあったものだとか。
(右)「幼少の法然像」だとか。

水盤舎 幼少の法然像

「大殿」から振り返って境内と「三解脱門」を見たところ。

増上寺

経蔵とは、文字通り経典を収蔵する建物のことで、特別公開時に内部を見学できる。
中に入ると中央に輪蔵というぐりぐり回す書架が設置されてる。
実際に、この輪蔵を回してみる事が出来るのだが、これで経典を読んだご利益が得られるんだとか。
(左)都の有形文化財だという経蔵の外観。
(右)張り出した棒を押して輪蔵を回転させる。

経蔵 経蔵

経蔵 経蔵 経蔵


引き続き、もう少し、増上寺の境内をまわってみる。



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