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≪Chapter of Yanesen lineup≫
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道を少し戻り、蛍坂なる坂を上がっていく。
さきほどの蛍沢にちなんだネーミングの坂であるが、情緒も何もない狭苦しい感じの舗装道路だ。

蛍坂

(左)蛍坂を上ったところ。下に見えるのは、防災広場初音の森。
(右)赤い山門の加納院は、神田北寺町から延宝8年に移転してきたという真言宗寺院。

蛍坂 加納院

安立寺(江戸千家宗家 川上家墓)


加納院の山門を出て真っ直ぐ進むと、寛永7年創建の日蓮宗寺院 安立寺がある。
案内板には、明治期の画家下村観山について書いてある。加納芳崖、橋本雅邦に師事した観山は、東京美術学校教授を努めたり、
岡倉天心の日本美術院創立に参加するなど、同次代の菱田春草、横山大観らと活躍したという。
また、茶道江戸千家初代宗主川上不白の菩提寺であるらしい。

安立寺 安立寺

(左)下村観山の墓。後ろの僧の像が目立つが関係無いようだ。
(右)茶道の江戸千家 川上不白の墓所。

安立寺 安立寺

加納院山門の前を今度は右に曲がると、谷中を代表する風景の一つとなっている江戸末期の築地塀がある。

加納院山門 築地塀

(左)位置的に加納院のものかと思ったが、築地塀は観音寺のものであるという。
(右)旧蒲生家だとか。よく小物などを売っているので、貸出スペースであるらしい。

築地塀

このあたりは谷中5丁目で、道を挟んで谷中霊園のある谷中7丁目だ。
江戸の地図でも、寺院の構成はほぼ同じで、天王寺の門前町だ。
(右)観音寺のとなり、「谷中七福神そば」の幟が立っている「松寿庵」。
「七福神そば」(700円らしい)というのがあって七福神めぐりの人々に人気なんだとか。

谷中そば

観音寺


築地塀のあった観音寺は、慶長年間創建の真言宗寺院だ。
神田北寺町から延宝8年に移転し長福寺と称していたが、享保元年に観音寺と改称されたとある。
案内板には、赤穂浪士ゆかりの寺とある。
なんでも、当時の「朝山和尚」が、赤穂浪士の「近松行重」「奥田行高」と兄弟で、 この寺では、メンバーによるミーティングが
度々行われていたのだと言う。 また、討入り後には赤穂浪士供養塔が建てられたともある。

観音寺 観音寺

(左)本堂。
(右)朝山和尚が建てたという「四十七士の慰霊塔」。
案内板にある「...長福寺六世朝山...寶永...三月吉日...」と見えるのは、左側の小さい方だ。

観音寺 観音寺

現在、商店街のこの辺りは、道を挟んで谷中片町と天王寺の門前町だった。
(右)朝倉彫塑館。明治期の彫刻家、朝倉文夫のアトリエ兼住居を美術館にしたものだとか。
建物は、昭和のもので朝倉文夫が自ら設計したものだという。現在、耐震工事中。

朝倉彫塑館

“初音小路”は、昭和の趣を残す路地裏の光景だ。

初音小路 初音小路

長安寺


道を引き返すと、観音寺の先には、臨済宗の長安寺がある。
長安寺の創建は宝永元年、安藤右京亮屋敷内の長安軒だったものが、正徳2年に長安寺となり移転してきたという。
案内板は、境内の「板碑」と「狩野芳崖」についてのものがある。
また、谷中七福神の寿老人を祀っている
(右)その「板碑」。鎌倉時代と室町時代のものらしいので、この寺より古いことになる。

長安寺 長安寺

境内には、狩野芳崖の碑や狩野芳崖の墓がある。
(左)狩野芳崖翁碑。芳崖の略歴が刻んであるんだとか。
(右)狩野芳崖の墓。明治期の日本画家で、河鍋暁斎などとともに狩野派の最後の大物の一人。

長安寺 長安寺

登録有形文化財 第13-0077-0078号のプレートがある、この建物は「スペース小倉屋」。
江戸期の質屋店舗と大正期の土蔵をギャラリーとして開放しているんだとか。

スペース小倉 スペース小倉

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