≪Chapter of Yanesen lineup≫
天眼寺→玉林寺→信行寺→
本光寺→臨江寺→大名時計博物館→
蓮華寺→延寿寺→妙行寺→
妙泉寺→一乗寺→大雄寺→
感応寺→自性院→長久院→
西光寺→瑞輪寺→谷中霊園→
天王寺→安立院→旧平櫛田中邸→
浄名院→善性寺→
大円寺→宗林寺→長明寺→
安立寺→築地塀→観音寺→
長安寺→永久寺→龍谷寺→
天龍院→全生庵→妙法寺→
妙円寺→
諏訪神社→浄光寺→富士見坂→
修性院→青雲寺→南泉寺→
養福寺→経王寺→本行寺→
延命院→谷中銀座→須藤公園→
旧安田楠雄邸→根津神社
修性院を出て、道灌山通り方向に歩いていくと、“花見寺”の一つに数えられた青雲寺が見えてくる。
青雲寺は、宝暦年間、堀田相模守正亮により中興されたという臨済宗寺院だ。。
堀田正亮は、下総佐倉藩主で、老中首座にまで上り詰めた人物だ。
「青雲」という寺号は、その堀田正亮の法号「青雲院」に由来するものだという。
また、谷中七福神の恵比寿神を祀っている。
境内には、江戸の文化人の碑がいくつか建っている。
(左)「滝沢馬琴筆塚の碑」。南総里見八犬伝の作者として知られる。
(右)日暮里船繋松の碑。
道を引き返し富士見坂の下を過ぎると、南泉寺がある。
南泉寺は、元和2年に創建されたという臨済宗寺院だ。
案内板には、貞享3年家光・家綱に仕えた大奥の老女岡野の遺言により朱印30石を賜ったとある。
また、本堂内にある鎌倉時代の聖観音菩薩像が「美濃遠山氏」の念持仏であるとか。
この老女岡野と、美濃遠山氏、ゆかりの寺院と言うことになるようだ。
(左)3匹の蛙が描かれた「蛙塚」なるもの。
(右)西南戦争の犠牲者を弔っているらしい「戦死之碑」。
(左)墓誌には「坂氏代々之墓」とある。
“源頼光の五世の孫・・・十三代・・・合葬す・・・足利尊氏公に奉仕・・・良く読めない・・・”
具体的な人物として、案内板に出ていた、大奥老女岡野(栄寿院殿)がいる。(右から2番目)
その左隣に、信長・秀吉・徳川家の典医の家系であるらしい「洞菴宗仙法印」なる人物がいるが・・・やはり、良く分からない。
(右)天保年間の浦賀奉行「遠山景高の墓所」。
案内板にあった「美濃遠山家」をルーツに持ち、あの「遠山の金さん」とも元をたどると同じ一族らしい。
(左)案内板には、初代と二代の「松林伯円」だとある。江戸時代に名人と呼ばれた講談師だったらしい。
(中)仁正寺藩の第10代藩主(最後らしい)の市橋長義の墓。
この市橋家は、瑞輪寺に墓のあった市橋長勝(仁正寺藩市橋家初代らしい)の系譜に連なると思われる。
(右)ヤナカネコ。
富士見坂を上がり、諏訪台通りへと戻る。
養福寺は、元和6年創建の真言宗寺院だ。
太平洋戦争の戦災により建物類は消失しているが、赤い仁王門は、宝永年間の建立と伝わるものだ。
金網の中の皆さん。
本堂や鐘楼はいづれも昭和再建のものらしい。
引き続き諏訪台通りを進む。塀は次に向う経王寺のもの。
諏方神社祭礼の際には、この通りに縁日の屋台が並ぶ。
この通りを抜けると、経王寺、本行寺、延命院とあり、坂を下ると谷中銀座商店街もある。