今回は、典型的な下町と寺町の光景が特徴的な谷根千エリアに足を向ける。
大雑把に不忍通りを挟んだ、谷中、根津、千駄木、日暮里と言った辺りのことだ。
下町の代表格“谷中"のネーミングについては、上野の山と本郷台地の間にある谷と言う事になるようだが、
その寺町は、むしろ坂の上にある印象だ。
歴史的には、上野寛永寺の創建により寺町が形成され、後に幕府の都市計画で神田から寺院の移転があったり、明暦の大火で引っ越してきたりしているのだという。
根津は、主に根津神社の門前町。千駄木は田畑や林が多くを占める下駒込村で、明治になり駒込千駄木町となっている。
日暮里は江戸時代の新堀村で、風光明媚な人気の行楽地だったという。
現在、昔の日暮里や千駄木の光景は想像し難いが、谷中の寺町や根津神社は現在までその姿を止めている。
※写真は適当に選んでいるため、画像に季節感などの統一性は全くない。
2010年 谷中まつり >>
2011年 根津千駄木下町まつり >>
2013年 谷中七福神 >>
≪Chapter of Yanesen lineup≫
天眼寺→玉林寺→信行寺→
本光寺→臨江寺→大名時計博物館→
蓮華寺→延寿寺→妙行寺→
妙泉寺→一乗寺→大雄寺→
感応寺→自性院→長久院→
西光寺→瑞輪寺→谷中霊園→
天王寺→安立院→旧平櫛田中邸→
浄名院→善性寺→
大円寺→宗林寺→長明寺→
安立寺→築地塀→観音寺→
長安寺→永久寺→龍谷寺→
天龍院→全生庵→妙法寺→
妙円寺→
諏訪神社→浄光寺→富士見坂→
修性院→青雲寺→南泉寺→
養福寺→経王寺→本行寺→
延命院→谷中銀座→須藤公園→
旧安田楠雄邸→根津神社
根津2丁目の宮永仲通りは、江戸時代、根津神社の門前町の一画である。
この辺りは、谷間の低地で不忍池を水源とする川が流れていたらしい。
ここに、「登録有形文化財 第13-0056号」明治40年製の日本家屋だという木造3階建ての
「はん亭」がある。現在は、串焼き屋として営業しているが、
不忍通りからは、道路拡張の
際のセットバックによるものか、建物が変に削られていて気付きづらい。
不忍通りと言問通りが交差する根津一丁目の交差点。
江戸時代、不忍通りを挟んで1丁目は根津神社の門前町、2丁目は武家屋敷が建っていたようだ。
この辺りの不忍通りは、台地に挟まれた場所で、クロスする言問通りの
上野方面は“善光寺坂”で、本郷方面は“弥生坂”、いづれも台地を上がる。
ここから善光寺坂を上がると、ほどなく住所は文京区根津から台東区谷中へと変わる。
その昔、坂の上に善光寺があったようだが、元禄の火事で青山に移転したとかで、江戸の地図(安政)には、門前町のみが記載されている。
言問通りを上り始めると延宝6年創建の臨済宗寺院天眼寺が右手に見えてくる。
この天眼寺は、武蔵忍藩(奥平松平家)の菩提寺ということらしい。
この松平家は、遡ると、徳川の重臣の奥平信昌の系列と言うことになる。
初代、松平忠明の母が徳川家康の娘の亀姫だった縁で家康の養子になり松平性を名乗っているらしい。
これが、桑名、忍藩藩主だった奥平松平家の墓所であるらしい。
この「天眼寺殿」の供養塔は、
二代目松平忠弘の正室、細川忠利の娘で、あの細川ガラシャの孫にあたるようだ。
天眼寺の斜め対面に曹洞宗寺院の玉林寺がある。
天正19年創建とされる古刹で、慶安元年には21石余りの御朱印寺領を拝領とあることから往時は結構大きな寺院であったらしい。
(左)境内にあった「獨立軒森重先生墓」。江戸時代に出来た森重流砲術なるものの創始者らしい。
ちなみに、森重流砲術は「しながわ宿場まつり」などのイベントで演舞が見られる。
(右)境内の井戸。
(左)墓地の入り口付近にある河津家のテリトリー。
幕末に、関東郡代、外国奉行、長崎奉行、などを歴任した河津祐邦が代表的な人物か。
(右)門前に「蝦夷地探検家 秦憶丸先生墓」と碑が建っていた。
この人物は、村上島之允とも称する測量のスペシャリストで、 間宮林蔵や近藤重蔵と測量の旅に出たのだという。
間宮林蔵の師匠と言うと、伊能忠敬が思い浮かぶが、 この秦憶丸先生も、林蔵の師にあたる人物らしい。
さらに善光寺坂を上がると寛永8年創建の日蓮宗真行寺がある。
(左)境内の入り口付近には、姿三四郎の作者「富田常雄」と、その父で明治の柔道家「富田常次郎」の墓所がある。
(右)墓地には、狩野派の表絵師 御徒士町狩野家の墓所がある。
京で隆盛を極めていた狩野派であるが、徳川の世になると狩野探幽を
リーダーとする狩野派の主流は江戸に進出し、多くの分家が生まれている。
御徒士町狩野家は、狩野永徳の弟、狩野長信を祖とする一族であるという。
表絵師とは、主に幕府の依頼を受ける御用絵師と呼ばれた絵師のグループで奥絵師に継ぐ家格とされ、その下にさらに町絵師の家があったらしい。
引き続き善光寺坂を上がる。
(左)寛永13年創建の日蓮宗寺院 妙情寺。
(右)寛永6年創建の日蓮宗寺院 上聖寺。
続いては、寛永7年創建の日蓮宗寺院 本光寺に来た。
この本光寺と、となりの上聖寺は、天和3年に谷中に移転してきているようなのだが、
前年には、駒込の大円寺を火元とする天和の大火
があり、あるいは、それが関係したものか?
境内に、「秋葉大助」なる人物の墓がある。墓誌には人力車の始祖だと書いてある。
明治時代人力車は、籠に変わる運送手段として普及したが、秋葉大助が、銀座に設立した秋葉商店は業界ナンバーワンのメーカー
であったという。
上がってきた善光寺坂を下る。