≪Chapter of Waseda Lineup>>
早稲田駅→穴八幡神社→
甘泉園公園→大隈庭園→
関口芭蕉庵→
新江戸川公園→永青文庫→
椿山荘→江戸川公園→
江戸川橋駅
西早稲田の交差点だ。左前方向に早稲田通りは続いているが、ここでは右に進路を変える。
信号を渡った所に「高田馬場跡」の案内プレートがある。
江戸時代、幕府旗本が馬術の調練をした場所で、穴八幡神社の奉納流鏑馬もここで行われていたとある。
この道は、新目白通りへと向っている。道路の左手に「水稲荷神社」の社号碑が見えてくる。
そこを入るとすぐに「堀部武庸加功遺蹟」の碑がある。
堀部安兵衛が助太刀して名を上げた「高田馬場の決闘」のことが書いてあるんだろう。
藤原秀郷由来だと言うこの神社、元禄の世に神木から霊水が湧き出てきて水稲荷神社になったんだとか。
なんでも、元は早稲田大学の敷地あたりにあったのが引っ越してきたんだとか。
(左)耳欠け神狐。よくある撫でるとヒーリング効果を得られるタイプのものらしい。
(右)社殿の裏手には、末社の類が沢山ある。この岩山は神社と一緒に引っ越してきた「富塚古墳」だとか。
同じ敷地に、新宿区管轄の日本庭園がある。
徳川御三卿清水家の下屋敷の跡地に今も残る大名庭園が、
ここ甘泉園公園だ。
池があって土手があって、その回りを歩く回遊式庭園ってやつだ。
なんでも、ここの湧き水が、お茶を入れるのに適していたから
“甘泉園"になったんだとか。
(左)甘泉園公園の出口から出たところ。いや、こっちが正面か。
都電荒川線の通る、新目白通りに出てきた。
前方は、早稲田停留所で、後方は、面影橋だ。この写真ではわからないが肉眼で見えるくらいにその駅間は短い。
(左)都電荒川線の終点の早稲田停留所。
ここから大隈庭園を目指すのだが、一帯は早大関連の建物ばかり適当に歩いたら結構右往左往するハメになった。
思った方向に道がなかったりで、手こずる中、早稲田のお膝元って感じの店がチラホラ見受けられる。
(左)教科書とか売ってるらしい店。
(中)“卒業論文 製本一日仕上"とある。
(右)学帽を売っている店だ。
ようやくと言って良いだろう、重要文化財になってるらしい大隈講堂が見えてきた。
正式名称は「早稲田大学大隈記念講堂」だが、大隈重信が記念に箱物の一つでも、と思ったわけではないようで、
重信の没後に、大隈重信を記念して建てられた昭和初期の建造物ということだ。
(左)その大隈重信(朝倉文夫作)の雄姿。これも、ここではお約束の建造物だ。
(右)ここから大隈庭園に入る。
大隈庭園というのは、大隈重信の別邸だったことに由来する。
まあ、普通そう思うか・・・
このあたりは、江戸時代には彦根藩井伊家や高松藩松平家の下屋敷があったが、
後に重信の取得するところとなり、日本庭園(和洋四条家風だとか)を当時の流行
(文人風というのだそうだ)
に合わせて改装したものらしい。
重信没後に、早稲田大学に寄贈されたのだという。
(左)背景のビルは「リーガロイヤルホテル東京」だとか。振り向くと大隈講堂があるが逆光でよく写らなかった。
(右)韓国の「エレミの鐘」なるものの縮小版複製だとか。
(左)やっぱり日本庭園に池は付きものか。
(右)完之荘という茶室だとか。昔の飛騨高山の民家を移築してきたらしい。
左から、
学問ものには定番の孔子像。中華人民共和国山東省人民政府とあるので、メイドインチャイナと思われる。
田中館愛橘像。明治期の物理学者でローマ字とかメートル法にご執心だったらしいのだが早稲田との関連は知らない。
大隈重信夫人の像らしい。
日本庭園の主要パーツ石灯籠。たぶん“東照宮 尊前"と書いてある、文政年間のものらしい。
大隈会館の前に「早稲田ショップ」なんてのがあった。
文字通り“早稲田グッズ"を売っている。と言うより“大隈グッズ"か?
(中・左)安直なのか?妥当なのか?駄洒落キャラとして親しまれる大隈重信の雄姿。
写真は、たぶんまだ大隈会館あたりだと思うが、
新目白通りに戻るあたりで
早稲田バスが止まっている。
やっぱり、“おおくま"マークだ。
これで早稲田大学エリアは終わり。
更に新宿区も後にして、この後は文京区に入っていく。