今回は、前半に新宿区早稲田エリア、後半は文京区に移って目白台や関口と言ったあたりを歩く。
前半の“早稲田"は、早稲田大学しかイメージが湧かないが、地名から言っても昔は田んぼだったんだろう。
後半の神田川沿いのエリアは、江戸時代に、大名の下屋敷なんかが集まっていた土地だという。
それでいつもは、お寺巡りになりがちなこのページだが、今回多いのは大名屋敷の名残である日本庭園だ。
≪Chapter of Waseda Lineup>>
早稲田駅→穴八幡神社→
甘泉園公園→大隈庭園→
関口芭蕉庵→
新江戸川公園→永青文庫→
椿山荘→江戸川公園→
江戸川橋駅
この日の早稲田駅は、妙に人出が多かった。
早稲田通りと諏訪通りの交差点「馬場下町」まで来ると、穴八幡神社には意外な人混みが。
屋台など出ているし何かのシーズンらしい。
“一陽来復"だとか・・・そんなに有名なのか・・・
八幡様と言うことで、源義家ゆかりの穴八幡神社。
名前の由来は、穴から阿弥陀如来像がみつかったら・・・
ありがちと言うのか、とってつけたようなと言うのか。
この穴八幡神社は、流鏑馬の奉納神事で知られる神社だ。
徳川吉宗の時代から、将軍家の祝い事に際して、高田馬場で流鏑馬を奉納する伝統があったという。
その高田馬場流鏑馬の模様
“一陽来復"のお守りに殺到する庶民(推定)の群れ。
到底ならんでみようとは思えないが・・・
ちなみに、特になんでもない日の境内。閑散としている。
(左)徳川家光によって奉納された布袋像の水鉢だとか。
となりの方生寺にも寄ってみる。
こちらも“一陽来福"か・・・改めて見ると漢字が微妙に違う。
“複"→“福"に変わった。“福聚海無量"がなんとかとあるが、まあ、良く分からない。
たぶん、こだわりがあるんだろう。
この方生寺は寛永年間に穴八幡神社の別当寺として創建とあるので、
もともとは同じところだって事だろう。
時の権力者、徳川将軍家から、葵の紋を許されるなど高いステータスを
与えられた地元の有力寺院だったようだ。
寺号の“方生"というのは捕らえられた動物などを放す法事の事だとかで、
体育の日に、池に魚を放す“方生会"と言う行事があるらしい。
(左)定番の弘法大師。像の回りを左から右旋回しながら「南無大師遍照金剛」と称えるなんてルールがあるらしい。
(中)新変大菩薩。役の行者のことらしい。なんでも足腰弱い人に御利益あるんだとか。弱いんだけど・・・
(右)地蔵菩薩と馬頭観音菩薩だとある。
早稲田通り沿いにある「日蓮宗 法輪寺」に、なんとなく入ってみた。
のだが、特になにもなさそうと言うか、わからないと言うか、チラッと見ただけ。
早稲田通りの坂道を上がっていく。
(左)さっきの穴八幡神社の神門が見える。
(中)通りの右側は早稲田大学の敷地。
(右)“エジプト考古学ビル"なんてのがあった。あのピラミッド回り掘ってる“吉村作治"氏のビルってことらしい。