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旧吉田酒店


輪王寺 両大師堂


国立博物館の向って右隣にある両大師堂に来た。住所的にはまだ上野公園だ。
名前の通りここは、“輪王寺宮"と“両大師"を祀る寺院である。
まず、“輪王寺"という寺号については、
寛永寺の初代トップは、当然天海であるが、3代目以降は皇室から親王を迎えるのが慣習となっていたらしい。
以来、この歴代“輪王寺宮"が東叡山・日光山・比叡山の上に君臨するのが通例となり絶大な権威を誇ったという。
“両大師"については、“慈眼大師"と“慈恵大師"のことだとある。
“慈眼大師"は天海その人で、 “慈恵大師"は比叡山延暦寺の中興の祖とされる良源の事なんだとか。

両大師堂 両大師堂

(左)阿弥陀堂の中。
(右)両大師堂の本堂。

両大師堂 両大師堂

(左)本堂から歴代輪王寺宮の墓所がチラッと見える。
(右)天海の用いたという紋「丸に二引き両」と「輪宝紋」。

両大師堂 両大師堂

(左)葬儀場らしい輪王殿。輪王寺っぽい名前を留める建物は、たぶんこれだけ。
(右)輪王殿の前にある寛永寺旧本坊表門。明治には帝国博物館の表門だったらしい。
上野戦争をくぐり抜けているので、銃弾の跡が残っている。

両大師堂 両大師堂

両大師堂の裏手には寛永寺の子院が多く残るエリアとなっている。
現龍院墓地の前には「殉死の碑」というものが建っている。
元老中の堀田正盛や阿部重次以下、家光の後を追って殉死した家臣たちの墓があるらしい。

殉死の碑 現竜院

(左)この林光院は忍藩主(実は山形藩か?)松平忠弘や六代将軍家宣の生母長昌院に所縁の寺院であるらしい。
表門は徳島藩邸の門を移築したものだとか。
(右)「旧津藩主藤堂高虎公開創之寺」とある寒松院。“寒松院"は藤堂高虎の法名でもあるという。

林光院 寒松院 寒松院

国立博物館の庭園の裏手は道を挟んで寛永寺の霊園となっている。
(左)寛永寺霊園の塀沿いにある四代将軍徳川家綱の霊廟勅額門。
(右)道から見えるこのあたりが、篤姫の宝塔などがあると思われるところ。

寛永寺 寛永寺

五代将軍徳川綱吉の霊廟勅額門もある。

寛永寺 寛永寺

寛永寺


本来は上野公園の噴水の辺りに建っているはずの寛永寺は上野戦争で焼失している。
現在の寛永寺は上野公園からちょこっと外れた所にひっそりと建っている印象だ。
本堂は、明治12年に天海が住職を務めていたと言う川越喜多院の本地堂を移築したものだとある。
書院には徳川慶喜が水戸退去の前に2か月ほど蟄居していた部屋(葵の間)が保存されているらしい。

寛永寺 寛永寺

寛永寺 寛永寺

寛永寺 寛永寺

上野戦争の碑。
尾形光琳の弟「尾形乾山」の墓碑。巣鴨の養善寺にも墓所がある
慈海僧正墓 。門主・輪王寺宮の名代をつとめうる唯一の有資格者であった学頭と言う位にあった名僧らしい。
了翁禅師塔碑。たぶん、これもまた偉い坊さんだったんだろう。

寛永寺 寛永寺 寛永寺 寛永寺

現在の寛永寺がある上野桜木も旧寛永寺の子院が残るエリアだ。
この円珠院も長州藩第2代藩主毛利綱廣によって建立されたという子院の一つだ。
山門(薬医門)は江戸時代のものらしい。

円珠院 円珠院

上野桜木会館。明治期の家屋を集会施設として使用されているものらしい。

上野桜木会館 上野桜木会館

護国院


護国院


旧寛永寺子院の一つ護国院。
正式名称は「東叡山護国院大黒天」で大黒天を祭っている。


護国院 護国院 護国院

旧吉田酒店


旧吉田酒店


住所は依然上野桜木。言問沿い通りまで出てきた。
先ほどの下町風俗資料館の付属施設として、明治時代の商家「旧吉田酒店」が
移築展示されている。
谷中に明治43年に建てられた酒屋「吉田屋」の建物なんだとか。



当時の店先が再現されているようだ。

旧吉田酒店 旧吉田酒店 旧吉田酒店

今回の上野編としては、ここを終点としておく。


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