HOME(23区)佃・月島


今回は、中央区の下町、佃・月島エリアを特集してみる。
佃島は、江戸時代に隅田川河口の砂州を拡張した半ば人口の島であるという。
月島に至っては、明治以降の埋立地であるらしい。
江戸時代の古地図(江戸後期 天保十四年)で見ても、佃島はとても小さいく見える。
また、石川島とは繋がっておらず、当然、月島や晴海、豊洲などはまだない。
永代橋はすでにあるが、すぐ先が海であるため中央大橋、佃大橋、勝鬨橋はない。
現在は、近代的な高層マンションと昭和の下町が混在するエリアとなっている。



≪ Chapter of Tkuda.Tukisima ≫
佃天台地蔵佃小橋佃煮屋住吉神社石川島公園月島西仲通り


深川と佃島を結ぶ相生橋を渡る。現在の橋は、平成10年竣工の新しい橋だ。
相生橋は、月島の埋め立てで需要の増加した交通量に応じて明治に架けられたのが始めであるという。
写真では、左岸が佃2丁目の石川島公園、右岸は越中島公園。正面奥は中央区新川で、永代橋が見える。




相生橋を渡ると佃2丁目。
清澄通り沿いのこのあたりに、下町の雰囲気はない。
厳密な区分は分からないが、2丁目付近は、昔、石川島だった所らしい。
とりあえず、江戸時代の佃島だったと思われる1丁目の方に行ってみる。



なんとなく下町らしい風景になってきた。
路地の入口に「佃天台地蔵尊」なんて幟が立っている。
何か、あるとは、とても思えない路地を入って行くと、確かにそれがあった。

佃天台地蔵 佃天台地蔵

屋根を突き抜けて伸びるイチョウの幹の圧迫感がすごい。
この奥の石に刻まれているのが、佃天台地蔵らしい。
上野桜木の天台宗寺院浄名院とゆかりがあるような事が書いてあったと思う。

佃天台地蔵 佃天台地蔵

波除稲荷神社


路地を抜けた所には、於咲稲荷神社と波除稲荷神社がある。
由来などは、全然分からないが、波除稲荷なんていうのは、
いかにも漁師町の信仰を集めそうな神社である。



この佃堀の船だまりとバックに聳える高層ビル群のギャップが、現在、佃島の象徴的な光景だ。
この辺りの佃1丁目が江戸時代の佃島にあたるらしい。
(右)佃天台地蔵のイチョウが見える。

佃小橋 佃小橋

佃堀に架かる佃小橋とその上からの眺め。
橋の下には、祭りで使用する大幟の柱、抱が埋められているので掘り起こすなと書いてある。
釣り船らしき舟が係留されている場所には船宿があり、その奥は住吉神社の境内だ。
バックのビルは大川端リバーシティ21という超高層マンションで、旧石川島播磨の跡地に建っているという。

佃小橋 佃小橋

佃渡舟


隅田川沿いに向かって歩く。
佃島渡舟の碑がある。
昭和になって佃大橋が完成するまで渡し船が出ていたらしい。
まあ、渡し船の場所に橋を架けると言うのは自然なことか。



昭和の趣が残る佃1丁目の街並み。時折、旧家と思しき家屋を見かける。

佃小橋


佃島は、家康に招かれた摂津国佃村の漁師が拝領した土地であるという。
なんでも、本能寺の変に際して家康の脱出を助けたのだとか。
ここでは、主に、献上品ともなっていた白魚などの漁をしていたらしいのだが、 離れ小島であったため、小魚を保存食として加工したものが佃煮のルーツであるという。
というわけで、佃煮発祥の地には老舗の佃煮屋が残っている。
この「元祖 佃煮 佃天安」は、天保年間の創業だという。
何より、老舗らしい趣のある店舗が良い。



並びには、まだ、2軒ほど老舗の佃煮屋がある。
(左)「本家 佃源 田中屋」とある。
(右)「安政六年創業 佃煮 丸久」とある。



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