葛飾柴又のイメージは、寅さんの舞台となった下町であろうか。
今回のコースは、金町駅から柴又へと歩き、帝釈天の参道を通り柴又帝釈天と周辺を見学した後、最後は矢切の渡しを渡ってみる。
まあ、実に有り触れたラインナップだ。
歴史的には、昔は・・・結構田舎だったっぽい・・・あまりに大雑把か。
訪れた先では、地味に古墳時代の遺跡だったり、古戦場跡だったりといった話も出てくるが・・・
やっぱり、ほとんど「寅さん」と「帝釈天」の町って感じだろう。
と、これほど言っておきながら、「寅さんシリーズ」を全く見たことがない・・・
≪Chapter of Sibamata lineup≫
金町駅→
良観寺→柴又八幡神社→
帝釈天参道→柴又帝釈天→
山本亭→寅さん記念館→
矢切の渡し→
金町駅
スタート地点は金町駅。
JRの金町駅と京成金町駅がある。
柴又へは京成金町線の線路沿いを
歩いて一駅の距離だ。
もちろん、この電車に乗っても行ける。
どことなく、ローカル線の趣がある金町線の線路沿いを歩く。
水戸街道と交差する金町三丁目交差点で、その金町線の電車とすれ違う。
この電車、以前見たときと見た目が変わった気がするが、たぶん、いくつかタイプがあるのだろう。
この金町線の停車駅は、金町、柴又、高砂と3つしかなく葛飾区内で完結している。
やっぱり、ローカル線だ。
水戸街道を渡ると、そこは柴又街道だって書いてある。
その文字通り柴又へと続く道をとにかく線路沿いに歩く。
踏切の向こう、山門越しに布袋さんが見えるのは良観寺だ。
明暦年間あたりにルーツがあるらしい真言宗寺院で柴又七福神の幟が立っている。
なんでも、その昔、商人が拾って来た布袋像が、商売繁盛をもたらした・・・そんな伝説があるらしい。
(右)腹を両手で時計回りに3回撫でると“強固な意志"を授かるらしい。
柴又街道の対岸には、金町浄水場の敷地が広がっている。
昔は、水質悪化で名を馳せていたらしいが、昨今は「東京水」なんてものを売り出すほど水質浄化能力を誇っている。
ちなみに、住所は葛飾区金町浄水場1-1であるらしい。
この金町浄水場を過ぎると、いよいよ柴又は間近だ。
住所も柴又に変わり、見えて来たのは、いつ頃出来たのか今ひとつ分からないらしい柴又八幡神社。
ここでは、石室など古墳の遺構が発掘されていて、出土品には“寅さん埴輪"なるものがあるらしい。
(左)社殿の裏手に回る。島俣塚とあるのが石室の遺構か?
(右)何かの末社だと思う。
京成柴又駅前にやってきた。
駅前からは、すぐ帝釈天の参道が伸びている。
(左)駅前に佇む“寅さん"の雄姿。
(中)なぜか、水路にいる“見ざる言わざる聞かざる"の猿たち。
(右)水路には金魚が泳いでいる。
なんだかよく分からないがインパクトのある建物が現れた。
"ハイカラ横丁"や“おもちゃ博物館"の文字が見える。
ちょっと寄り道して中に入ってみる。
店内は、いわゆる昭和レトロな駄菓子屋、おもちゃ屋を
再現した作りになっている。
このあたりからが本格的に帝釈天の参道であろうか。
(右)“寄贈 渥美清"と見える常夜灯。
(左)山田洋次監督の碑。寅さんのお約束の台詞が刻まれている。
「私 生まれも育ちも葛飾柴又です 帝釈天で産湯をつかい 姓は車 名は寅次郎 人呼んでフーテンの寅と発します」
老舗の店が連なる参道には、いかにも伝統的な門前町を思わせる風情がある。
老舗の和菓子屋、団子屋の「高木屋」と「とらや」。
「高木屋」は、寅さん撮影の際の控え室や衣装部屋だったんだとか。
「とらや」は、立て替え前は「寅さんの実家」という設定だったらしい。
(左)「矢切の渡しもなか」なるものを売っている「代々喜」。
(右)「木彫」の看板がある民芸品店。帝釈天に猿は付きものらしい。
さらに、ずんずん参道を進んでいくと柴又帝釈天の二天門が見えてきた。