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≪ Chapter of Tabata lineup ≫
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日枝神社


赤紙仁王通りを歩き、田端3丁目に入る。何やら「日枝神社参道」と石柱が建っている。
この日枝神社の由来などは分からないが、江戸の地図にはない神社だ。 当時、このあたりには上台寺があり、明治の地図には、
その上台寺の境内に隣接して日枝神社が載っているので、神仏分離により独立した神社と思われる。
また、江戸時代には、隣接して普門寺があり、当時は、ここが谷中七福神七番目だったようであるが、上台寺、普門寺とも現在はここにない。

日枝神社 日枝神社

日枝神社も台地の上り口にある。

日枝神社 日枝神社

大久寺(相模小田原藩大久保家墓所)


日枝神社から少し先に行くと、法華宗の大久寺がある。
ここも江戸の地図には見えない寺院で、当時は、光明院の境内(隣にある)が、このあたりまで広がっていたようだ。
大久寺は、文禄元年、小田原に創建、寛永7年に江戸下谷車坂への移転の後、明治36年に当地に移転とある。
道理で、創建が桃山時代なのに、江戸の地図にはないはずだ。
この寺は、大久保一族の菩提を弔うため大久保忠世が創建したのだという。
そうなると、寺名の“大久”は、やはり、“大久保”姓に由来するものと思われる。

大久寺 大久寺

(左)「日蓮大士こしかけ石」と見える。まあ、座ったんだろう。
(右)墓所には、古そうな宝筐印塔が立ち並んでいる。

大久寺 大久寺

(左)相模小田原藩大久保家の墓所。徳川十六神将に数えられる大久保忠世や、子の老中大久保忠隣などが葬られているらしい。
大久保忠隣は老中にまで上り詰めながら、大久保長安事件の余波などで本多正信・正純父子との権力闘争に敗れ改易にまで追い込まれている。 真ん中の背の高いやつに“凉地院"という戒名が見え、それが大久保忠隣であるようだ。
(右)伊勢亀山藩石川家墓所。初代の石川総慶以下歴代藩主だと思われる。
忠隣の二男忠総が石川家の養子となっており、大久保家とは縁戚関係にあったようだ。

大久寺 大久寺

江戸の地図にも記載のある光明院であるが、由来などは分からなかった。
現在は、幼稚園を経営しているらしい真言宗寺院だ。

光明寺 光明寺

田端3丁目から4丁目に入る。右手、奥に見えてくる大龍寺へと向かう。

大龍寺

大龍寺


真言宗大龍寺は、慶長年間に浄仙寺として創建、 天明期に荒廃していたものを湯島霊雲寺光海の高弟で光顕と言う人物が中興して
大龍寺と改称したという。 俳人正岡子規の墓所があることで知られる場らしく、門前に「子規居士墓所」の石柱がある。

大龍寺 大龍寺

(左)本堂前から見た田端の街。
(右)明治から昭和期かけて活躍した陶芸家 板谷波山の墓。
芸術家的な陶芸家の先駆者で、陶芸家として初の文化勲章を受章したのだとか。田端に工房があったらしい。

大龍寺 大龍寺

正岡子規の墓所。
「静かな寺に葬って欲しい」という生前の希望で、当時、林に囲まれて静かだったこの寺が選ばれたという。

大龍寺 大龍寺 大龍寺

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