≪Chapter of Sugamo lineup≫
巣鴨駅→
染井霊園→勝林寺→
慈眼寺→本妙寺→
妙行寺→善養寺→
西方寺→盛雲寺→
庚申塚→高岩寺→
眞性寺→巣鴨駅
まだ、染井霊園の周辺にいる。
また、路地の奧に入っていくと今度は慈眼寺というお寺に着いた。
元和元年深川に創建され、ここには明治45年に移転してきたのだという。
染井霊園の一部に見えるくらい隣接して墓地があるのだが住所は
なんとなく巣鴨なってきた。
路地を挟んで本堂と墓地がある。
(左)本堂。古そうには見えない。まあ、ありがちなタイプのものに見える。
(右)芥川家の墓所。左側の四角いのが芥川龍之介のもの。
(左)谷崎潤一郎の墓。
(中)司馬江漢(左)と小林平八郎(右)の墓。
司馬江漢は江戸時代の有名な絵師で広重の「東海道五十三次」のオリジナルを書いたと言う説もある。
あるのだが、それについては、どうも否定的な意見も多いようで良く分からない。
小林平八郎は忠臣蔵に吉良方の剣客として登場する。
(右)斎藤鶴磯の墓。江戸後期の儒学者だとか。
引き続き染井霊園の回りをやや迷走し(歩きだが)見えてきた山門は、
ここも有名人が多くいる本妙寺のもの。
ここ本妙寺は徳川繁栄を願う旗下の武将たちにより創建されたんだとか。
開基には久世広宣、大久保忠勝、大久保康忠、大久保忠俊、阿部忠政と言った徳川家臣が名を連ねている。
戦国時代浜松に創建され、徳川家康が江戸に入るのに伴い移転、
その後も火災などによる移転を繰り返しながら本郷に落ち着いていたが
(坂の名前で残っている)、
明治43年に巣鴨に移ってきたものらしい。
関宿藩久世家墓所。初代の老中久世広之以下歴代藩主であると思われる。
(中)下総国関宿城主 従五位下長門守源朝臣久世廣運之墓と見える。6代藩主らしい。
(右)入口には久世家の家紋が。
(左)千葉周作の墓。北辰一刀流の創始者で幕末三大道場のひとつ玄武館を開く。
ちなみに弟の千葉定吉の墓は雑司ヶ谷霊園に、父浦山寿定の墓は松戸の宝光院にある。
(中)江戸時代の囲碁の家元「本因坊」歴代の墓所。
(右)天野宗歩の墓。江戸時代末期の将棋の名人。
(左)遠山景元の墓。いわゆる北町奉行“遠山の金さん"。ライバルの南町奉行 鳥居耀蔵の墓は駒込吉祥寺にある。
(右)明暦の大火供養塔。この振り袖火事の火元とも言われるのがここ本妙寺だ。
ちょっと裏道って感じの所を西巣鴨方面に歩いている。
(左・中)これも湯島から明治になって移転してきたというハ禅寺の赤門。
天和3年将軍徳川綱吉の命により、吉州元和尚の代に下賜されたものだとある。
(右)隣にある白泉寺の門柱にいる象。