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新馬場駅


京急の新馬場駅。
住所は北品川だが、目黒川の上にあるので、南品川の境に位置している。



妙蓮寺(薄雲太夫の墓所)


室町時代の創建だという法華宗寺院の妙蓮寺に来た。
山門をくぐり境内に入ると、となりに新馬場駅と京急の線路が見える。
正面には、近代建築の本堂がある。

妙蓮寺 妙蓮寺

(左)薄雲太夫の墓。 いわゆる吉原の花魁のトップで、猫が好きな事で有名だったらしい。
(右)由井正雪の乱でドジを踏んだとされる丸橋忠弥の首塚なんてのもある。

薄雲太夫の墓 丸橋忠弥の墓

また、旧東海道に戻ってきた。
(右)ところどころ、このような街道松が植えてある。「袋井の松」と見える。

旧東海道 旧東海道 袋井の松


沿道の店先に“長徳寺 閻魔いなり"なんてポップがある。
この角を曲がると、その由来であると思わ長徳寺がある。



長徳寺


創建は室町中期の古刹だという長徳寺は、 東海寺の建立に際して、この場所に移ってきたらしい。
閻魔堂内の「木像閻魔像坐像」が地元で信仰を集めてきた閻魔様であるという。
ただ、実際には、ここで特に何も見てないので、あまり印象のないお寺。

長徳寺 長徳寺

天妙国寺


この天妙国寺も旧東海道沿いにある。
法華宗の寺院で、鎌倉時代に創建されたとう言う古刹だ。
門柱の先に短い参道があり赤い山門が建っている。
山門をくぐると正面に本堂がある・・・普通か・・・
案内板によると、「桃中軒雲右衛門の墓」が史跡になっているらしいが、誰だそれ・・・
明治の浪曲師だって・・・マニアックすぎる。

天妙国寺 天妙国寺

引き続き、旧東海道を歩いている。今度の街道松は、「大磯宿の街道松」らしい。
(右)“諏訪神社"だと思っていたが、写真で見たら“諏方神社"だった。それだけ。

岡松畳 大磯宿の街道松

この諏方神社というのは、あちこちでちょくちょく見かける名前だ。
ここは、先ほどの天妙国寺が出来た際に建立されたものらしい。
よくある町の神社って感じだ。

諏方神社 諏方神社

「ジュネーブ平和通り」なんて通りにぶつかった。
このあと、訪れる品川寺の鐘にまつわる因縁で、品川区とジュネーブ市が友好都市提携を結んでるんだとか。
コーナーに立つ、サヤエンドウ型の外灯が目につく。青物横丁まで来たらしい。

ジュネーブ平和通り サヤエンドウの外灯

そのまま旧東海道に歩を進める。
今度の街道松は「保土ヶ谷の松」らしい。

旧東海道 旧東海道 保土ヶ谷の松

釜屋跡


「幕府御用宿 釜屋跡」の案内板がある。
「誠」の字や土方歳三が見えるので新撰組にゆかりの場所らしいのだが・・・
なんでも、このあたりに、たいそう繁盛した宿場の茶屋があって、幕末には幕府要人も逗留する本陣のような建物であったという。
まあ、それで、新選組も来たことあるよって程度の話らしい。



品川寺(江戸六地蔵一番目)


沿道からでも目に付く、この地蔵は2m75p、青銅製の地蔵菩薩座像で、いわゆる江戸六地蔵の一番目だとか。
歴史的には、めちゃくちゃ古いルーツがあるらしく、大同年間に出来たことになっている。
まだ、藤原氏が幅をきかせていた平安貴族の時代と言うことか。
また、開山は、あの空海ともなっていて、随分と由緒のある寺みたいだ。
その後、紆余曲折を経て、江戸時代に現在に繋がる品川寺が誕生したらしい。
一応、読み方は、“しながわでら"ではなく“ほんせんじ"だ。

品川寺 品川寺

この「鐘」が曰く付きのものらしい。
海外流出していたのが、パリとかウィーンの万博に展示されていて、最終的には、スイスのジュネーブ市から取り返した。
そんなような話だった。この因縁で、スイスと品川が友好都市になってるんだとか。

山門 鐘楼

鐘楼の周りには七福神が揃っている。
恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁才天・福禄寿・寿老人・布袋のはずだ。

恵比寿 大黒天 毘沙門天 弁才天 福禄寿 寿老人 布袋

なんか、ちょっと、おかしなデザインの建物たち。何風というのかも微妙?和っぽくはないから、中華風??

品川寺 品川寺

海雲寺(奉納扁額)


もう少し、旧東海道を歩くと、すぐ次のお寺が見えてくる。門前のには「開運 千躰荒神霊場王 海雲寺」とある。
案内板によると、この千躰荒神は、火と水と台所の神なんだそうだ。
ここも歴史の古いお寺のようで、鎌倉時代に、このあと訪れる海晏寺に建てられた塔頭寺院をルーツとし、その後独立、
江戸時代前期に海雲寺となったのだという。
(右)平蔵地蔵なるもの。 正直者の乞食が正直が徒になって海に浮かぶハメになったみたいな由来が書いてある。

海雲寺 平蔵地蔵

(左)本堂。
(右)鐘楼。

本堂 海雲寺鐘楼

千躰荒神堂の奉納扁額が品川区の文化財だとも書いてある。
千躰荒神堂の中に入ると、一面こんな感じのが見られる。

千躰荒神堂 奉納扁額

奉納扁額 奉納扁額

海晏寺


今度は、また、第一京浜沿いへと出て、先ほど名前の出た海晏寺に入る。
本尊の観音像が、昔、品川で揚がった鮫から出たものだとかで、「鮫洲」という地名の由来にもなっているという。
海晏寺は、鎌倉時代に、北条時頼が建長寺の蘭渓道隆を迎えて開山したと伝わる古刹だ。
そう言われると、なんか、とても、ステータスの高そうな寺だ。
裏腹に、特に何にもない印象だったが、ネットで見ると、松平春嶽岩倉具視山内豊信などの墓があるらしい。
しかし、山内豊信に関しては、この後に行く大井公園に墓があるのだが・・・
残念ながら、上記有名どころの墓は非公開らしい。
(右)ここに鍵がかかってるので、たぶんこの奥。

海晏寺 海晏寺 海晏寺

大井公園(山内容堂の墓)


引き続き、第一京浜を歩き、京急鮫洲駅あたりまできた。今回はこの大井公園を終点にしておく。
現在は、ただの児童公園にしか見えないが、仙台藩の下屋敷跡だったり、土佐藩の下屋敷の跡だったりするらしい。
また、土佐藩主だった山内家の墓所があるらしい。

大井公園 大井公園

(左)これが、幕末の四賢侯と言われた山内容堂(豊信)の墓らしい。
(中)嶋津常侯の墓。武将の墓だとばかり思っていたが・・・
たぶん、13代藩主山内豊熈の正室で島津家から嫁いだ島津候子ではないかと思われる。
(右)土佐藩最後の藩主山内豊範の墓だと思うが良く読めない。
案内板によると、遺言により山内容堂は、ここに葬られているのだという。
ただ、土佐藩藩邸の跡地とはいうものの、なぜ墓所だけあるのか?当時、寺院があったのか? といったことは書かれていない。

山内容堂の墓 嶋津常侯 山内豊範の墓

鮫洲駅付近の第一京浜


大井公園をあとにして、第一京浜を横断中。
右側が、京浜急行鮫洲駅だ。
今回は、もちろん、東海道の宿場町の歴史を見て回ったのだが、もう一つ、江戸を代表するような大寺院であったという東海寺の存在もポイントとなっている。
街道交通の拠点であったのはもちらんのこと、徳川家や幕府との結びつきも強い寺社町としても栄えていたようだ。
といったところで、今回の品川宿めぐりは、ここまで。



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