≪ Chapter of Sinagawajyuku lineup≫
品川駅→
利田神社→善福寺→
法禅寺→一心寺→養願寺→
品川宿本陣跡→
寄木神社→
荏原神社→海徳寺→品川神社→
東海寺→
東海寺大山墓地→本光寺→
清光院→海蔵寺→
妙蓮寺→長徳寺→
天妙国寺→品川寺→
海雲寺→海晏寺→
山内容堂墓→
鮫洲駅
公園を後にして、先ほどの八ツ山通りに出て、さらに細っこい道に入る。
寄木神社にやってきた。"よりき"と読むらしい・・・普通そう読むか。
先ほどの善福寺と同様に、ここにも伊豆長八による鏝絵があるらしいのだが、
どうやら本堂内の扉みたいだ。
先に進むと、目黒川にぶち当たる。名前のとおり目黒の方まで続いてる川だ。
ここからは少し、この目黒川沿いを歩く。どうでも良い事だけど二級河川らしい。
江戸時代には、目黒川を挟んで北品川宿と南品川宿に分かれることから「境橋」などとも呼ばれたらしい。
目黒川が基準だったのか・・・北品川が品川の南側にあっても、おかしくもなんともなかったわけだ。
写真は、旧東海道が通る「品川橋」。橋の上に四阿がある、ちょっと変わった造りだ。
荏原神社に架かる鎮守橋。いかにも、ここに神社があるよって感じの赤い橋だ。
鎮守橋は荏原神社に架かっている。
創建は、平城京遷都の直前あたりの和銅2年(709年)とされる古社である。
源氏・北条・徳川と時の権力者からも信仰を受けた品川の総鎮守だという。
昔の名は、「品川大明神」で、明治に現在の「荏原神社」になったらしい。
現在は、社殿の他に、ちっこい末社や神楽殿らしきものがあるくらいだが、
「北の天王(品川神社)」に対して「南の天王」とも呼ばれる代表的な神社だ。
祭られている神様は、豊受姫之神・天照皇大神・須佐男之尊・淤加美神・手力雄之尊で、
あとは、七福神の恵比寿がいる。
対岸にお寺っぽいのが見えるので、目黒川を渡って、次はそこに言ってみることに。
荏川橋の、なんとなく目についた、この絵は“荏胡麻"だとか。胡麻の一種なんだろうが、産地だったって事らしい。
荏原神社の対岸に渡ってきた。
ここ海徳寺では、ホームラン地蔵というものが知られているらしい。
墓地の入り口付近にそれはあったが、歴史スポットでも、観光スポットでもない。
王貞治ファンだった(昔の話)少年のお墓みたいで、一般人のものだ。
ただ、確かにバットとボールを持ったユニークな地蔵と言うのは間違いない。
きっと、これからも、ホームラン地蔵によって参拝者が絶えることはないだろう。
また、目黒川を渡り、ちょっと逆戻り。新馬場北口通りに出る。
先ほど養願寺付近で、赤いレンガの壁だけ見えた正徳寺があったが・・・特になにもなさそうかな。
次は、この通りの先にある品川神社に向う。
京浜急行「新馬場」駅前あたりから、第一京浜の向こう側に、鳥居が見えてきたら、それが品川神社だ。
創建時の社名は「品川大明神」で、源頼朝が海上交通安全などの守護神に安房の洲崎明神を勧進したものであるという。
時代的には、平家物語のストーリーも佳境に入り、壇ノ浦で平氏が破れるあたりであろうか。
ここで、お祀りされているのは、天比理乃命・素盞嗚尊・宇賀之売命・・・
相変わらず、読むことすら困難な神々だが、「あめのひりのめのみこと」は、最初に源頼朝が、「すさのおのみこと」は、太田道灌が、
「うがのめのみこと」は、二階堂貞藤(鎌倉末期の御家人らしい)がそれぞれ呼んできた神さまであるらしい。
御利益は、当然、陸海の交通安全だ。
現在は、東京十社・東海七福神なんてものにラインナップされている。
見ての通り、境内へは、鳥居をくぐって階段を上がっていく、鳥居には、定番の龍が巻き付いている。
左が昇り竜で、右が下り竜。
階段の途中から富士塚の登り口がある。神社によくあるミニ富士山だ。
富士山を信仰しているが、旅行に行けない江戸庶民が登ってたんだなあと、勝手に思い込んだが、全くの間違い。
後で、表示版の写真を見たら、明治2年に作られて、明治5年に再築って書いてあった。
(左)が登山口。鳥居の横に、ちっこい末社、猿田彦神社がある。
(右)三合目。すぐ横に四合目が見える。さらに五合目も。
(左)五合目から見下ろす。元々、登山口が階段の中段にあるため、意外に高く見える。
(右)七合目。険しさを増したように見える画だが、むしろ狭い。
(左)九合目。神社の境内がチラッと見えてきた。
(右)頂上から見た下界。この真下は第一京浜で、品川宿周辺の街並みと旧東海道を望む方面だ。
頂上からは、下山用の階段も裏側にあって境内に降りるようになっている。
まずは、富士山信仰につきもの、浅間神社がある。富士塚とのセットも定番っぽい。本家は、もちろん富士宮にある。
(右)“富士山"→“ふじ"+“蛙"→“帰る"の駄洒落キャラ「ぶじかえる」。交通旅行安全守護だって書いてある。
日曜なのだが、境内には人影がほぼない(わりには、自転車がけっこう置いてあるが)。
普段、神社の境内は、こんなものかも知れない。
(左)社殿。
(右)御嶽神社。この末社も山岳信仰を感じさせるもの。
手水舎の河童と額。
本殿の右サイド、よくある赤鳥居の連打をくぐっていく。
その先にあるのは「阿那稲荷神社上社」だとか。
(左)“一粒萬倍 阿那稲荷大明神"と書かれた幟。
(右)さらに、鳥居が続き、1段下がった所に「阿那稲荷神社下社」がある。
どことなく洞窟っぽい雰囲気の「阿那稲荷神社下社」の中。
(左)八百萬神社・大國主恵比須神社・天王白龍辨戝神社らしい。
(右)丸い台に“一粒萬倍"って書いてある、この水で銭洗ってみれば良いことあるかもってことみたいだが・・・
本堂裏手にある墓地に自由民権運動で有名な板垣退助の墓所がある。
なんでも、ここには東海寺塔頭の高源院というお寺があったが世田谷に引越した際に取り残されたらしい。
(左)板垣の名を後世に残すこととなった、お約束のキャッチコピー“板垣死すとも自由は死せず"の碑。
(右)板垣退助の墓(手前)と、並んで、板垣夫人の墓。