HOME(23区版)品川宿(北品川)

江戸時代に東海道の1番目の宿場町とされたのが、この品川宿であるという。
今回のルートは、主に、京浜急行「北品川」から「青物横丁」間の、
「旧東海道」及び「第一京浜」周辺が対象となる。
品川宿と言っても、別に江戸時代の街並みが残っているわけではない。
しかし、寺社を中心として、歴史的な雰囲気を今に伝えるスポットは、
それなりに存在している・・・はずだ。
それとなく、都会の雑踏を避けて(充分都会か)、のんびり歩くには、
適したコースと言えるのではないだろうか。
ちなみに、この先、東海道を踏破するなんて、酔狂な計画は全くない。


≪ Chapter of Sinagawajyuku lineup≫
品川駅利田神社善福寺法禅寺一心寺養願寺品川宿本陣跡寄木神社荏原神社海徳寺品川神社東海寺
東海寺大山墓地本光寺清光院海蔵寺妙蓮寺長徳寺天妙国寺品川寺海雲寺海晏寺山内容堂墓鮫洲駅


JR品川駅


JR品川駅高輪口からスタート。第一京浜を北品川方面に歩く。
気がついてなかったが、品川駅は港区らしい。
ここは、品川宿の範疇にもまだ入ってない。
さらに言えば、“北品川"に向って“南下"してる気がするのだが気のせいか?
(左下)この八ツ山橋を渡るといよいよ品川宿
この橋のルーツは明治期に、新橋−横浜間の鉄道が開通した時なんだとか。
一応、歴史ある橋みたいだが、しかし、何と言っても、
この地を世に知らしめたのは、“初代ゴジラ上陸地点"としてだ。
本当は、そんなマニアックなネタ始めて知ったけど、印象には残る。
いきなり歴史の話じゃないけど・・・

(右下)は旧東海道入り口と思しきところ。
左側の柱に“縦是南 品川宿 地内"と書いてある。
“これより南・・・"ってことは、やっぱり南下してるか。
ちなみに、側面には“御代官築山茂左衛門支配所"と書いてある。



八ツ山橋 旧東海道入り口

特に、観光地とは言えない気もするが、(余計なお世話か) 旧東海道の入り口付近にある観光案内所(左)。
“今日は遠くからの人が多い・・・"と言われたが、“遠い"の基準は不明。街道MAPが置いてある。
早速、街道を歩く・・・前に目に入ったのが、この「問答河岸跡」の碑(中)。
横にある説明板を読むと、将軍(家光)が、“海近くして如何が是れ東海寺"と言ったのに答えて沢庵和尚は、
“大軍を指揮して将軍と言うが如し"と切り返す・・・駄洒落の話か・・・

観光案内所 問答河岸跡 はた

土蔵相模跡


日曜なのに人気のない旧東海道。
むしろ、商店街だからそんなものかもしれない。
左下外灯の傍らには「土蔵相模跡」の表示がある。
高杉晋作伊藤博文井上馨などといった、 幕末の志士たちが入り浸って密議を謀っていたと言う旅籠屋の跡地らしい。
英国公使館の焼き討ちや桜田門外の変なんて事件の前にも会合が持たれたんだとか。
写真では、左手の奥にあるコンビニのあたりになるらしい。



品川浦舟だまり


早くも、今回のメインストリート旧東海道を逸れて、ちょこっと左(東か?)に歩いて、八ツ山通りに出る。
このあたりは品川浦と言うらしい。品川埠頭に続くこの運河には、釣り船・屋形船・船宿といった風景が広がる。
北品川橋上から撮った写真。近代的なビルとのギャップがお約束の景色となるようだ。

品川浦舟だまり 品川浦舟だまり

(左)船宿。釣り船が出ているらしい。
(右)付近の酒場の店先に上陸しているゴジラ。

品川浦 ゴジラ

利田神社(鯨塚)


利田神社

引き続き品川浦にある利田神社にきた。(かがたじんじゃ)と読むらしい。
江戸時代から続く古い神社みたいだが、見所は、この鯨塚(ただの石碑だが)。
品川沖に迷い込んだ鯨(16.5m)を、浜御殿(浜離宮)まで引きづって行って、
将軍(家斉)が見物したみたいな事が書いてある。
自然保護団体とかなくて幸いだった。最も当時の捕鯨国は、むしろアメリカか。
庶民にもウケたようで、どうやら、アザラシのタマちゃん状態だったと思われる。
案内板には、漁業と海苔の生産が盛んで、江戸からの行楽地でもあった など、
品川浦の生活についても触れられている。
隣接する公園には、必然的に?クジラのオブジェが。



鯨塚 品川浦公園

(左)行楽客など滅多に行き会わうないのだが、唯一、5・6人がシャッターを向けるポイントが・・・
いったい何があるのかと思ったら、まさかの“夏バテっぽいネコ"。
(右)旧街道に戻り土産物屋を覗いてみる。

ネコ 土産物屋 ストラップ

御殿山下砲台跡


「台場小学校」の前にある「品川灯台」のレプリカ。
横に御殿山下台場(砲台)跡の表示がある。
黒船来航に、心臓ひっくり返った、幕府が付け焼き刃で作ったものらしい。
石垣のあたりは本物っぽい。



品川宿の表示


メインストリート旧東海道に戻ってきた。
商店街は静かな感じだ(日曜で休店ばっかりだから)。
何の変哲もない小さい公園(品海公園)の前に道標がある。
“品川宿 日本橋より二里"“川崎宿へ二里半"と書いてあり、こんな道標が街道沿いに置かれている。



善福寺(鰻絵)


ちょこっとだけ、道を戻ると善福寺がある。
門をくぐると、おんぼろの(如何にも年季入ってそうな)本堂が目に入る。
たぶん、本当に古い。この本堂が、いつ頃の建物かは知らないが、鎌倉時代にはあった寺らしいのだ。
見所は、本堂壁面上部にある、この龍の彫り物だ。
お約束で“鰻絵"と読み間違えたが、“鏝絵"と言うらしい。
“うなぎ"ではなく“こて"なんだとか。
“鏝"というのは、左官職人が外壁を仕上げるのに使う道具みたいだが、 作者の入江長八は、これを芸術の粋にまで
高めた人物として有名らしい。
この彫り物は、自由に見られる貴重なものだが、朽ち果てかけている。
果して、いつまでこの姿をトドメていられるのか。

善福寺 善福寺

善福寺 善福寺

法禅寺(板碑)


これも、ほぼ旧東海道沿いにある法禅寺にやってきた。
歴史的には、南北朝のころの創建で、芝増上寺の末寺とも書いてある。
門の横には「品川小学校発祥之地」の碑が建っている。
(右)案内板によると、鎌倉から戦国期にかけての「板碑」なるものが入っている建物と、「流民叢塚碑」なるものらしい。
天保の大飢饉で行き倒れた人々が、ここ法禅寺海蔵寺に葬られたのだとか。

法禅寺 法禅寺

(左)その「板碑」なるもの。このあたりの出土品らしい。
(中)ここは、東海道七福神ではないようなのだが、布袋さんが。
(右)天然記念物だという樹齢400年の銀杏。

法禅寺 法禅寺 法禅寺

まあ、ここに限らない事だが、折角、歴史を感じさせる寺社も、駐車スペースの近さが景観破壊に・・・
今は、めずらしくもない当たり前の光景だが、写真で見た時、車が写りこんでると余計にそう感じる。
などと、いつも通りの感想を持ちつつ、引き続き旧東海道を歩く。
(右)は、江戸時代から続く下駄屋らしい「丸屋」という店。

旧東海道 丸屋

一心寺


一心寺


旧東海道沿いに、おもむろに現れた一心寺
安政二年に大老職にあった井伊直弼によって創建されたと案内板にある。
ただ、実際に、安政二年には、阿部正弘もしくは堀田正睦が老中首座だったようなのだが・・・
現在は、「成田山」の提灯が下がっており、成田山の不動明王が本尊になっている。
あとは、東海道七福神の寿老人らしい。



商店街は日曜のせいか閉まってるシャッターが多い。
この手の町にありがちな、シャッターの絵ファン(たぶんいる)には見所の一つかもしれない。

商店街 商店街

養願寺


門も境内もなんにもなく、ぽつんと本堂だけあるのが養願寺。東海七福神の布袋らしい。

養願寺 養願寺

正徳寺の塀


赤レンガの先(正徳寺)に歩くか迷ったが、やめて旧東海道に戻る。



聖蹟公園(品川宿本陣跡)


つづいては、聖蹟公園に来た。一見また、何の変哲もない公園だが、ここが品川宿本陣跡だ。
公園の名前"聖蹟"は、明治天皇行幸の際の行在所になった事に由来するとある。

聖蹟公園 聖蹟公園 聖蹟公園

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