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Chapter of Senjyu Lineup
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旧やっちゃ場河原稲荷神社橋戸稲荷神社千住大橋


旧やっちゃ場跡


墨堤通りを挟んで、旧日光街道は、もう少し続く。
ここからは「旧やっちゃ場跡」(昔の青果市場)になる。
ここの歴史的なルーツは戦国期にまで遡るようだが、やはり千住大橋の架橋や千住宿の発展に伴い興隆していったものらしい。
往時は、神田・駒込とともに江戸の三市場の一つとして幕府御用市場にもなり、維新後も存続していたが空襲で消滅したという。
“やっちゃ”とは、戦前まで賑わっていたという、この市場でのセリの掛け声なんだとか。
一見どうってこともない道なのだが、道の左右を見ると、一軒一軒、昔の“屋号”や“商品”が書かれていてちょっと面白い。

旧やっちゃ場跡


出仲買商「笊屋」。
やっちゃ場には、ここにしかない「投師」という存在があったという。
「投師」とは店舗を持たない仲買人で、ここで競り落とした品物を大八車で神田・京橋といった市場へ売りに行ったんだとか。
当然、やっちゃ場は、どこよりも早く開く市場であったらしい。


旧やっちゃ場跡 旧やっちゃ場跡


その看板の一部を並べてみた。
ただし、順番や位置関係は覚えてない。
角のコンビニがスタート地点となる「北詰」で、元は、酒屋の「相州屋」だったらしい。
(右)水菓子(果物)問屋の「水宗」と青物問屋の「伊勢屋」。
当然、ここには、青物問屋が多かったはずだ。



「千住ねぎ」の表示があるのは、青物問屋「柏屋」。
江戸時代からの伝統を引き継ぐ市場であるという。
「千寿葱」はいわゆるブランドネギで、ここは“葱”専門の珍しい市場なんだとか。
ちなみに、千住に葱畑があるわけではなく、関東近県で栽培されているらしい。

旧やっちゃ場跡 旧やっちゃ場跡 旧やっちゃ場跡

(左)青果物問屋「恵比寿屋」。現在も「ゑびす屋」の看板があるがなんの店なのか?
(中)紙煙草入商「濱松屋」。歌舞伎役者などに人気の名産品だったらしい。
(左)谷清 谷塚屋。江戸時代は両替商、明治からは青物問屋に転身したとある。

旧やっちゃ場跡 旧やっちゃ場跡 旧やっちゃ場跡 旧やっちゃ場跡

(左)明治創業の川魚問屋「鮒平」。鰻が主力商品だとか。
(中左)青物問屋「本坂川屋」。
(中右)車茶屋の「遠州屋」。駐車場(大八車用)付きの茶店といったものだったらしい。
(右)この長床茶屋には、将軍鷹狩休息所なんて書いてある。

旧やっちゃ場跡 旧やっちゃ場跡 旧やっちゃ場跡 旧やっちゃ場跡

旧やっちゃ場跡


「旧日光道中」「是より西へ大師道」とある。
大師とは「西新井大師」ことのようだ。
「100m先右奥→河原稲荷神社」ともある。
千貫神輿とか区内最大の狛犬なんて文字も見える。
その「河原稲荷神社」に行ってみる。



千住河原町稲荷神社


“やっちゃ場”の守り神だという「千住河原町稲荷神社」に来た。
その神様は「食稲魂神」で、食物の神・商売繁盛の神・出世の神なんだとか。
(左)わざわざ、4号線を渡って写した境内。
(右)昭和に再建されてらしい社殿。

河原稲荷神社 河原稲荷神社

足立区最大(凄いのか分からないが)阿吽の「狛犬」。

河原稲荷神社 河原稲荷神社

(左)七福神の「福禄寿」。
(右)これが「千貫神輿」らしい。まあ、重いんだろう。区の文化財だとか。

河原稲荷神社 河原稲荷神社

旧街道に戻る。“やっちゃ場の文化人”なんて看板も出ている。
(左)建部巣兆。俳画だとか、絵を描いてそこに俳句も書くみたいなやつらしい。
(中左)その門人でもあったらしい佐可和鯉隠。もちろん聞いたこともない人物だが・・・
(中右)千住の彫刻家、富岡芳堂。そうなんだとしか言いようがないが。
(右)やっちゃ場の郷土史家、福島憲太郎。建部巣兆とかの研究をしてたんだとか。

旧やっちゃ場跡 旧やっちゃ場跡 旧やっちゃ場跡 旧やっちゃ場跡

千住歴史プチテラス


歴史プチテラス


宿場町通りで見た「横山家」の蔵を移築して区民ギャラリーとしている施設らしい。
本来は問屋街だったはずの道なので、昔は蔵が立ち並んでいたのだろう。



間口3間半×奥行き2間半で2階建ての土蔵造りだとか。
屋根裏に天保元年の棟札が残っているという江戸時代の蔵だ。

歴史プチテラス 歴史プチテラス 歴史プチテラス

「北詰」があれば、当然「南詰」で終わる。
京成電鉄の高架の奥には、いよいよゴール地点の千住大橋も見えてくる。

旧やっちゃ場跡 旧やっちゃ場跡

道の終端には「千住宿 奥の細道プチテラス」なんてものが。
なんでも“プチ”を付けるなって感じもしないでもないが、とりあえず松尾芭蕉が佇んでいる。

旧やっちゃ場跡 旧やっちゃ場跡

旧日光街道は、千住大橋の手前で国道四号線と合流する。
ここに、現在は、魚市場になっているらしい「足立市場」がある。
千住大橋は目前だが、その前に、もう一つだけ「橋戸稲荷神社」に寄っていく。



橋戸稲荷神社


橋戸稲荷神社


四号線を渡って、千住大橋を掠めて、脇道に入ると橋戸稲荷神社がある。
神社としてのルーツは平安時代に遡るとされ、本殿は平安時代に、拝殿は幕末に建てられたものだという。
とても古い神社であるが、ここで有名なのは名工として名を馳せた左官職人
「入江長八の鏝絵」だ。
お約束だが“うなぎ”ではなく“こて”だ。
品川宿編 でも登場した入江長八は、出身地にちなんだものか「伊豆の長八」
の名で通っていたという。
その“鏝絵”普段はレプリカが置いてある。白いキツネの絵2つがそれだ。
まあ、本物も同じようなものだが(当たり前か)。



橋戸稲荷神社 橋戸稲荷神社 橋戸稲荷神社

千住大橋


千住大橋


時代は、まだ桃山時代、江戸に入府してきた徳川家康伊奈忠次を奉行に任じ架橋された橋が、初代の千住大橋であるという。
これが、隅田川に始めて架かった橋らしい。
その後、改架、改修が繰り返され、現在の橋は昭和初期のものだとか。
また、松尾芭蕉が、このあたりで上陸し、奥の細道に旅だったことになっている。
などと、時代背景はそれらしくあっても・・・特に観光的なスポットではない・・・。
通常、千住大橋と言っているのは下り専用の「旧橋」で、奥のアーチがない自動車専用道路が上りの「新橋」だ。
橋の袂に、奥の細道 矢立始めの碑がある。
“矢立”とは、携帯用の筆記用具で筆と墨壷がセットになっているものらしい。



橋から、ちっこい公園に下りる階段の柵のレリーフ。
左の絵には、馬と駕籠、右の絵には屋形船が、宿場町当時の交通機関が描かれている。

千住大橋 千住大橋

歴史的な部分を除くと隅田川には水質汚染のイメージしかない、いくらか改善されてはいるようだが。
川岸の壁には、千住を題材にした浮世絵がペイントされている。
歌川広重名所江戸百景「千住の大はし」と、 葛飾北斎富嶽三十六景「武州千住」だとか。

千住大橋 千住大橋

(左)江戸時代の「橋番付」なるもの。千住大橋は行司役。
(中)同じく「河番付」なるもの。隅田川は、これまた行司役。
(右)与謝蕪村筆「奥の細道図屏風」とある。

千住大橋 千住大橋 千住大橋

(左)この「千住小橋」は川を渡るんじゃなくて、千住大橋の下を横断する。
(中)橋を渡ると言うより、くぐると「千住大橋際御上がり場」なんて書いてある。
千住宿を通る将軍家や輪王寺宮など、お偉いさんが上陸したらしい。

千住小橋 千住大橋

千住大橋


千住大橋の上だ。
展望を遮るものが多く、どっちを向いても景色はロクに見えない。
非常に眺望に乏しい橋と言えるだろう。
この橋を渡ると南千住、足立区から荒川区へと入っていく。
この続きは、「千住宿 南千住編」に続く。



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