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八幡神社


宮元町の国道4号沿いにある小さな神社「八幡神社」に来た。
なんでも、八幡太郎義家が、この後出てくる「千住神社」に本陣を置いた時、ここに白旗を立てたんだとか。
そんな伝説があるらしい。
それと、三等身の毘沙門天がいる。
必然的に、次の目的地は義家の陣営地「千住神社」だ。

八幡神社 八幡神社 八幡神社

千住神社


千住神社に来た。名前からして千住を代表する神社のはず・・・
ここは、いわゆる前九年の役で奥州に向う八幡太郎義家が陣営とし戦勝祈願したという伝説のある地だ。
一帯は、「二ツ森」と呼ばれた場所で、江戸時代の史料に将軍が鷹狩りを行った記録があるという。
旧社格では郷社とされ、このあたりでは、やはり一番のステータスを誇る神社だったようだ。
ルーツは、伏見稲荷と大宮氷川神社の2つの系列の神社であるらしく、 明治にその「千崎稲荷神社」と「氷川神社」が合併し「西森神社」となり、現在の「千住神社」と言う名前になったのは、大正時代以降のことであるという。
(左)千住神社の社号の隣には、「史蹟 八幡太郎源義家陣営の地」と碑が建っている。
(右)昭和に再建された社殿。祭られているのは、須佐之男命宇迦之御魂命だ。

千住神社 千住神社

(中)浅間神社。ここにも、ミニ富士山がある。
(右)一見ただの“恵比寿さん”だが回転可能。と言うより回して祈るらしい。

千住神社 千住神社

正月の初担ぎの模様。地元である宮元町の神輿が出ている。
ちなみに、本社神輿は5年に一度の本祭りで登場する。

千住神社 千住神社


ダ〜と来た道を戻ってた。
位置的には、さっきの「慈眼寺」の真ん前。
左手に微妙に千住消防署の消防車が見える。
その先の芸術センターの所で旧街道と交差する。
更に、その先には、芸大や千住警察、JRの踏切がある。



通称“大踏切”。JR常磐線と東武線の踏切が連続してある。 いわゆる開かずの踏切で、渡ってる途中にカンカン鳴り出すほど忙しない。
踏切を渡ると北千住東口のエリアだが、今回は、そちらには行かない。
ちょっと、道を引き返して、旧街道の続きへとルートを戻す。

大踏切り 大踏切り

「本町センター通り」の対岸は、「仲町商店街」・「ミリオン通り」という商店街の道路が2本走っている。
(中)千住高札場跡。お上からのお達しが掲示された場所。
(右)一里塚跡。日本橋からの距離を示していたはずだ。

千住高札場跡 一里塚跡

とりあえずは、旧日光街道へと続いている「仲町商店街」へ進行する。
しかし、すぐに「ミリオン通り」に進路変更。次の目的地は、また「氷川神社」だ。
(左)仲町商店街。一言で言うと、普通の細めの道路。
(右)ミリオン通り。やはり、どこにでもある小さな商店街。



仲町氷川神社


この氷川神社は、町の片隅に地味にひっそりと建っている・・・他も似たようなものか・・・
一際、薄暗い境内には・・・曇ってるのか・・・
創建は江戸初期と伝わり、「氷川神社」なので、やっぱり「素盞鳴尊」を祭っている。
北千住に「氷川神社」は、これで4つ、さらに「千住神社」も前身が「氷川神社」であった。
関東にポピュラーな神社とはいえ、さすがに多い気もするのだが?
(中・右)「関屋天満宮」らしい。天満宮なので、菅原道真を祀っていて“関屋”にあったんだとか。
名前のまんまだが、ルーツは平安時代と伝わる区の文化財(石碑の方が)なんだとか。

仲町氷川神社 仲町氷川神社 仲町氷川神社

ここは七福神の弁財天なのだが、庚申塔タイプの弁財天は東京では珍しい(全国的にどうかは知らない)のだとか。
元禄期に出来たもので、弁財天像の下には定番の三猿がいる。
回りは錦鯉が泳ぐちっこい池になっている。これは弁天池ってことか?

仲町氷川神社 仲町氷川神社

掃部堤跡


再び、旧日光街道道に戻る。
「仲町商店街」を出ると旧街道は墨堤通りとクロスする。
その墨堤通りの歩道に「掃部堤跡」の碑がある。
石出掃部が造った荒川の堤防に因んだものだとか。
石出掃部亮吉胤は、江戸初期に、この仲町一帯を開拓、千住掃部宿を開発して名主を務めた人物だという。
また、伊奈忠次の下で千住大橋の架橋にも尽力しているんだとか。
先ほどの仲町氷川神社を建てたのも、この人らしい。
そして、目の前にある源長寺も石出掃部ゆかりの場所であるという。



源長寺


源長寺は、石出掃部の菩提寺として創建された寺院であるという。
フルネームは、浄土宗稲荷山勝林院源長寺。
石出掃部が尊敬していたという伊奈忠次の法号からの採った寺号であるという。
ちなみに、忠次の戒名は、勝林院殿前備前太守秀誉源長大居士だとか。
ここも千住宿では、重要な施設の一つだったらしく、例によって将軍が鷹狩りの際の御善処となったり、 輪王寺宮が日光に赴く際に逗留したりするようなお寺だったそうだ。
ただ、輪王寺宮の逗留については、前出の「勝専寺」を専らとしていたようではあるのだが。
源長寺は慶長年間に建てられたようだが、現在は、門と言い、本堂と言い、すごく真新しく見える。

源長寺 源長寺

(左)ここでの主役、石出掃部亮吉胤の墓。
(右)矢野和泉守正倫の墓。「中村一忠」の重臣だったが、大阪の陣では「大野治長」旗下で戦死した人物だとか。
このあたりには、珍しい戦国武将の史跡であるが、千住との関係が良く分からない。

石出掃部亮実胤の墓 矢野和泉守正倫の墓

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