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Chapter of Senjyu Lineup
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元宿堰稲荷神社本町センター通り勝専寺金蔵寺不動院慈眼寺八幡神社千住神社仲町氷川神社源長寺
旧やっちゃ場河原稲荷神社橋戸稲荷神社千住大橋



本町センター通り


旧街道との交差点まで戻ってきた。ここからまた「旧日光街道」へと入っていく。
正面は北千住駅で、左は、先ほどの宿場町通り、右が、このあと向かう本町センター通りだ。

駅前通り 本町センター通り

これと言って別に・・・普通に地味な本町センター商店街。
(右)レトロな外観の駄菓子屋「竹内商店」らしい。

本町センター通り 本町センター通り

勝専寺(赤門寺)


脇道の奥に、赤い門が見える。次に向うのは、赤門寺の名で知られる「勝専寺」だ。
「赤門寺」の名が示すように赤い門とレンガが特徴的だ。
創建は鎌倉時代と言われる古刹で、江戸時代には将軍の休息所となる茶室もあったりして千住宿を代表する場所の一つだったらしい。
本尊の木造千手観音像には、千住の地名の由来という説もあるが非公開で、「閻魔大王」の方に馴染みがあるようだ。

勝専寺 勝専寺

その閻魔大王は、閻魔様の縁日でご開帳され地元民にしたしまれている。
短い参道とこぢんまりとした境内に屋台が並ぶ昭和の風景だ。

勝専寺 勝専寺

(左)ちょっと、風変わりな外観の本堂。
(右)エンマ様。顔が赤いのは「赤門寺」だからかどうかは知らない・・・元々、赤いイメージか・・・

勝専寺 勝専寺

森鴎外旧居跡


旧街道に戻り、トポスの辺りの十字路を左に行った足立都税事務所の前だ。
「森鴎外旧居橘井堂跡」とある。
津和野藩の典医だった鴎外の父が維新後、郡医としてこの地に開業したものらしく、
鴎外も、千住に4年ほど住んでいたと書いてある。



電柱の←に従い路地に入っていくと、「蔵」という名前の喫茶店がある。
建物に大倉屋質店とある通り、昭和初期の質屋の蔵を改装した店舗であるという。
ここも、街歩き番組やその手の本では定番の人気スポットだ。

喫茶蔵 喫茶蔵 喫茶蔵

飲み横


付近には、飲み屋横丁と呼ばれる昭和の飲み屋街がある。
この“飲み横”なんかもテレビや雑誌で、たまに見るところ。



金蔵寺


旧街道から少し逸れたので戻る途中、ここも脇道にある金蔵寺というお寺に来た。
創建が建武2年と古く、南北朝時代直前と言ったところか。本尊は、閻魔大王であるという。
この閻魔大王には「そばえんま様」なんて愛称があるらしく、なんでも、蕎麦好きだったという伝説があるようだ。
(中)天保の飢饉による餓死者の無縁塔と千住宿遊女の供養塔で、区の文化財になってるらしい。
(右)その「えんま様」が通ったという明治創業の蕎麦屋「柏屋」。少し手前の旧街道沿いにある。

金蔵寺 金蔵寺 金蔵寺

千住宿問屋場貫目改所道標


旧街道に戻ってきた。
本町センター通りの端っこ「東京芸術センター」の前に、
「千住宿問屋場・貫目改所跡」の碑が立っている。
問屋場は、旅行者の駕籠や馬を手配するところで、 貫目改所は、荷物の重さを検査する秤があったところだとか。
馬にも、積載重量の制限が決まっていたらしく、それによって運賃が設定されていたみたいだ。



不動院


名前の通り、本尊に不動明王を祀る鎌倉末期創建のお寺らしい。
案内板によると、宿場関係者の墓が多いとある。確かに屋号のある墓石をいくつも見かける。
(右)戊辰戦争に千住から出陣して戦死を遂げた、芸州藩の軍夫・従軍者の供養塔だとか。

不動院 不動院 不動院

慈眼寺


ここは「不動院」の隣にある「慈眼寺」。ここも鎌倉時代に出来たお寺のようだ。
江戸時代には、将軍などセレブ御用達施設の一角を担っていたようだ。
境内には、大正12年に出来た「南北消防記念碑」がある。
江戸・明治期の消防組織「千住町消防組」の殉職者の慰霊顕彰碑らしい。
通りの並びには、現在の千住消防署がある。

慈眼寺 慈眼寺

国道4号線(日光街道)を渡って振り返ったところ。
左側は千住新橋で竹ノ塚方面、右側は千住大橋で上野方面になる。
車が向ってきてるのが、今来た道で、左側に、千住消防署・東京芸術センター・千住警察・東京芸大などがある。



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