HOME(23区版)<<北千住(宿場町通り)
北千住駅前


今回のコースは、江戸四宿と呼ばれる地のひとつ千住宿
四宿の中でも、江戸末期の人口は1万人程と、最大規模であったらしい。
現在該当する、厳密な範囲は良く分からないが、「千住」と言うからには、
「北千住」と「南千住」のはずで、当然、まずは、「北千住編」からになる。
メインルートとなるのは、旧日光街道だ。
この地がメジャーになったのは、街道と宿場が整備されていった、
やはり、江戸時代以降と言うことになるんだろう。
松尾芭蕉も、ここ千住から奥の細道に旅立って行った事になっている。
江戸から東北地方への旅の出発点というイメージだ。(電車だと上野か)


Chapter of Senjyu Lineup
宿場町通り本氷川神社横山家長円寺四丁目氷川神社清亮寺名倉医院安養院大川町氷川神社元宿神社
元宿堰稲荷神社本町センター通り勝専寺金蔵寺不動院慈眼寺八幡神社千住神社仲町氷川神社源長寺
旧やっちゃ場河原稲荷神社橋戸稲荷神社千住大橋


「北千住駅」は典型的な乗換駅で、JR・地下鉄・私鉄・第三セクターまで、5種類が乗り入れている。
そう言う意味では、交通の要所という伝統は引き継いでいると言えるかもしれない。
ただ、別段、歴史的なものに限らず観光資源らしきものはなく、学校などをのぞくと集客力のなさそうな町だ。
乗り換えには、便利な駅だが、電車を降りても客足は「丸井」などの駅ビルどまりって印象は否めない。
(左)西口の駅前ロータリー。千住宿に該当するのは、ほぼこの西口側であると思われる。
(右)駅前商店街のキャラと思われる犬。

北千住駅前通り 北千住駅前通り

宿場町通り


駅前通りを少し行くと、旧日光街道とクロスする。右が「宿場町通り」左が「本町センター通り」という商店街。
まずは、「宿場町通り」に向うことにする。
おそらく、千住宿として、普通にガイドブックなどに載っているは、この道だと思う。
ただ、歴史的に残っているものと言えば、この旧街道の道幅くらいのものかも知れない。
ゲートをくぐってすぐ左側あたりに宿場本陣があったらしい。

宿場町通り 宿場町通り

宿場町通り 宿場町通り


現在、百円ショップになっているあたりが
「本陣跡」であるらしい。
お偉いさんしか、泊まれなかったし、 泊められなかったお宿だ。
ただ、通常、専用の旅籠があるわけではなく、
名主など地元有力者の住居が指定されることが多いはずなのだが、 そのあたりのことまでは書いてない。



中川園の蔵 中川園の蔵


この中川園の横の路地を抜けると北千住駅の丸井の前に出るのだが、 途中に時折テレビなどでもチラッと映る古い蔵がある。



中川園は、昭和13年創業のお茶屋さんらしい。
この蔵は、関東大震災前のものと推定されているのだとか。
現在でも、お茶や海苔の保管に使用されているとある。

中川園の蔵 中川園の蔵

(左)ある意味、千住らしい路地の光景。奥に中川園の蔵がある。
(右)旧街道に戻り、今度は、この路地に。奥に氷川神社の山門が見える。

中川園の蔵 本氷川神社

千住本氷川神社


千住には、「氷川神社」がいくつもあるのだが三丁目の氷川神社が、この本氷川神社だ。
“本"がついてる意味はわからない。
歴史的には、鎌倉時代まで遡れるようで、古そうな神社ではある。
右上が、旧社殿で、区の文化財らしい、右下は、昭和に出来た、新社殿だという。
祭神は、素戔嗚尊だとか。

本氷川神社 本氷川神社 本氷川神社
本氷川神社


旧街道に戻る。高札場を再現したらしき公園がある。再現できてるのかは、微妙な気もするが・・・
ただの児童公園で、滑り台の形状にちなんで、通称「タコ公園」と呼ばれる。

宿場町通り 宿場町通り

「宿場町通り」に戻る。
左側に、千住宿の旧家と言えば、たいてい取り上げられる横山家がある。

宿場町通り 宿場町通り

(左)横山家。江戸時代の紙問屋とか伝馬屋敷だとか、そんなことが書いてある。
玄関には、敗走中の彰義隊士が腹癒せに斬りつけたらしき刀傷が残る柱もあるんだとか。
(右)吉田家。江戸時代からの絵馬屋とある。八代目って書いてあるから、現在も存続してるようだ。
なんでも、手書きの絵馬ってのが貴重で、どうやら絶滅寸前らしい。
この2家が、千住の誇る旧家代表と言うことになるだろうか。

横山家 吉田家

長円寺


「横山家」手前の脇道に入る。
道の左側、白いのは、「横山家の蔵」らしい。
奥に見えるのは、これから向う「長円寺」。
やっぱり写真だと見えてないが山門がある。



長円寺


長円寺は、寛永の頃を起源として、江戸時代9代将軍家重の治世に栄えた寺院なのだという。
本尊は薬師如来だとある。
案内板によると、ここには「群雀堂」なる寺子屋があったらしく、山門の額は三代目校主の正木健によるものだとか。
この本堂については、特に記述がないので、わからないが、昨日今日出来たようには見えない。

長円寺 長円寺

(左)「めやみ地蔵尊」だとか。奉納されている絵馬が、さっきの吉田家のものらしい。
(右)案内板に出ていた「漁籃観音」だと思われる。

長円寺 長円寺

千住四丁目氷川神社


「長円寺」のとなりにある「氷川神社」。
元禄期に出来た神社で、現在の社殿は明治のものだとか。
(右)「長円寺」で出てきた、寺子屋「群雀堂」の由来が記されているらしい石碑。
あとは、別にこれと言ってなさそう。

千住四丁目氷川神社 千住四丁目氷川神社 千住四丁目氷川神社

清亮寺


ちょっこっと、ルートから逸れて、JRの線路も越えて(相変わらず大雑把すぎるが)すぐのところ「清亮寺」に来た。
どうやら、二代将軍徳川秀忠の頃の創建で、水戸街道の入り口に位置してたようなことが書いてある。
と言うより、この前の道が、旧水戸街道にあたると言うことか。
かつて、門前には、「黄門さまゆかりの槍掛けの松」なんて名物があったらしい。
水戸家などの大名行列が槍を立て掛けて休んだのだという。
(左)この山門(薬医門)は、昭和再建のものだが、区の文化財となっている。

清亮寺 清亮寺

清亮寺 清亮寺


(左)本堂は、天保期のものらしい。

(右)墓地の片隅にある「解剖人墓」。
明治期に「小塚原刑場」で刑死した罪人を使っての解剖実験が行われたのだといい、 墓石にその11人の名が刻まれている。
また、執刀者として、福井順道、大久保適斉、ヤンハンの名も記されている。



再び、旧街道に戻ってきた。
「清亮寺」の「槍掛けの松」から名付けられたという、この“槍かけだんご"の店はメディアにもよく登場する人気店だ。
戦後の創業だが、建物は明治のものらしい老舗の団子屋だ。

かどやの槍かけだんご 宿場町通り


このあたりでも、ちょこっと脇道に入ると江戸時代のものと伝わる蔵がある。
小豆蔵を住居用に改築したもので、現在はアトリエとして使われているのだとか。



宿場町通りの終点あたりで、振り返って見たところ。
「北へ 旧日光道中」「東へ 旧水戸佐倉道」とある。
旧日光街道は、当然、今来た道で旧水戸街道は、先ほどの「清亮寺」方面に向う道だ。

宿場町通り 宿場町通り

名倉医院


名倉医院


更に、旧街道の先は旧下妻道に入り、すぐ荒川放水路の土手にぶち当たる。
その手前に「名倉医院」がある。
江戸時代から関東一円に名を馳せていた有名な接骨院で、患者用の宿が何件もあったほどなんだとか。
案内板によると、建物が区の史跡となっているらしい。


名倉医院 名倉医院

名倉医院


このあたりは、「北西へ 旧日光道中」「北へ 旧下妻道」の表記がある。
いきなり土手に突き当たり道が途切れるので、現在では、ピンとこないが、昔は荒川放水路がなかったのだ。



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