≪Chapter of Ryougoku lineup≫
蔵前神社→蔵前橋→徳山稲荷神社→
横網公園→旧安田庭園→
北斎通り→野見宿禰神社→
江戸東京博物館→両国国技館→
回向院→両国花火資料館→
本所松坂町公園→勝海舟生誕の地→
江島杉山神社→
両国橋
堅川の隅田川合流点付近に架かる橋が一の橋だ。
江戸の地図には、一ツ目之橋とあり、隅田川から一つ目という意味らしい。
水運の要所となっていた堅川の両岸には商家や土蔵が並び、交通量の多い橋であったという。
また、この橋は、討ち入り後、赤穂浪士が泉岳寺に引き上げる際に最初に渡った橋でもあるという。
一の橋を渡ると両国二丁目から千歳一丁目に入る。この辺りは、江戸の本所一ツ目で、ここに江島杉山神社がある。
ここは、元禄6年に杉山検校が江ノ島弁財天を分霊して創建した神社であるという。
杉山検校(和一)は、鍼師として関東における盲人組織のトップに上り詰めた人物だ。
杉山流管鍼術なるものを編み出し江戸で成功した杉山検校は、教育施設を創設するなど多くの業績を残している。
その功績が五代将軍綱吉に認められると、関東総禄検校職と総禄屋敷地が与えられ、そこに弁財天を祀った事が始まりであるという。
安政の地図には、弁財天の隣に「惣録屋敷 百瀬検校」とあり、杉山家世襲ではなく役職によるものであることが分かる。
その後、明治になり、弁財天を祀る江島神社と杉山検校を祀った杉山神社とを合祀して江島杉山神社となったという。
将軍綱吉の治療の功で褒美を尋ねられた和一は、目を望み、それに対して綱吉は本所一ツ目の土地を与えたと伝わっている。
(左)社殿。
(右)杉山検校頌徳碑。
境内には、江ノ島の岩窟を模した洞窟がある。
江島杉山神社をあとにして、再び、堅川を渡る。
京葉道路まで戻り、両国橋に向かう。
「もゝんじや」は、享保3年創業の老舗 猪鍋屋だ。
現在の両国橋は昭和7年に建造されたものだが、初代の橋が架けられたのは、万治2年とも寛文元年とも言われる。
千住大橋に続いて隅田川に2番目に架けられた橋とされており、江戸の地図で見ると、当時は、やや下流にある。
隅田川の橋には、歴史的な由来を持つものも多いが、この橋も両国の花火などで有名な橋だ。
(左)橋の両国側。頭上には首都高6号向島線が走る。
(右)奥に見える橋は神田川に架かる柳橋だ。
両国1丁目から東日本橋2丁目へと両国橋を渡る。
(左)上流(浅草方向)を見たところ。鉄橋を走っているのはJR総武線で、右手にはスカイツリーが見える。
(右)軍配がデザインされたガードレール。
神田川の柳橋からみた両国橋。
この柳橋も江戸時代からあった橋で、初代は元禄11年に架けられたという。
一つ、上流は浅草橋で、江戸時代には、浅草見附があった。
今回は、蔵前橋から両国に入り、
最後は、両国橋を渡り終了とする。