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≪Chapter of Ryougoku lineup≫
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大江戸線の両国駅前から清澄通りを渡ると亀沢1丁目になる。江戸時代には、この一帯に武家屋敷が並んでいたようだ。
道沿いを当時の地図でみると、“本所南割下水”とあり、幅1.8m弱の掘割があったらしい。先ほどの徳山五兵衛が、本所の開発の折に掘ったものであろうか。 下水とあるが、いわゆうる生活排水を流すの下水道ではなく、雨水を川に流す水路であったという。
また、“本所南割下水”は、住所としても用いられていたようで、堀沿いの大名屋敷などの所在地に“本所南割下水”と記載がある。
現在、この通りは、北斎通りと名付けられているが、この町で葛飾北斎が生まれたのだという。
(右)葛飾北斎生誕の地碑。“宝暦十年、本所南割下水の地に生まれ・・・”とある。

北斎通り 北斎通り

歩道の街灯に、北斎の浮世絵が掲示されている。

北斎通り 北斎通り

北斎通り 北斎通り

亀沢2丁目に緑町公園という、まあ、普通の公園があるが、ここに墨田北斎美術館が建つ予定なのだという。
この公園を含めた亀沢2丁目から緑2丁目にかけては、陸奥弘前藩津軽家の上屋敷があった場所で、緑3丁目には中屋敷もあったらしい。
また、道の反対側には、常陸谷田部藩細川家下屋敷があったようだ。
(右)江川太郎左衛門英龍終焉の地の碑。
江川英龍は、江戸後期の伊豆韮山代官で、当時の沿岸防備に危機感を抱き西洋流砲術の導入に尽力した人物だ。

北斎通り 北斎通り

公園には、いくつか案内板が立っている。
(左)津軽の太鼓・津軽藩上屋敷跡。
なんでも、火の見櫓には通常、版木が備えてあるが、この屋敷の櫓には太鼓があり、それが、本所七不思議の一つであるとか。
(中)南割下水。昭和の初期に埋め立てられたとある。
(右)江川太郎左衛門屋敷跡。幕府の世襲代官 江川家(英龍が有名)の屋敷があたらしい。ジョン万次郎も屋敷地に住んでいたんだとか。

北斎通り 北斎通り 北斎通り

野見宿禰神社


この野見宿禰神社が建っているのも、津軽家屋敷の跡地だ。
野見宿禰は、垂仁天皇の御前試合で当麻蹴速との角力に勝ったという日本書紀に登場する神話上の人物だ。
この神社は、明治18年、当時、となりにあった高砂部屋の高砂親方が相撲の神様とされる野見宿禰を祀ったものだという。

野見宿禰神社 野見宿禰神社

現在は相撲協会が管理しているらしい。
(左)鳥居。
(右)社殿。

野見宿禰神社 野見宿禰神社

境内には、歴代横綱之碑がある。

野見宿禰神社 野見宿禰神社

おいてけぼり


北斎通りを引き返し、清澄通りを渡ると日本大学の付属高校前に
「置いてけ堀・御竹蔵跡」の案内板がある。 「置いてけ堀」は、本所七不思議の一つで、釣りをしていた男が、堀の中から聴こえる“置いていけ〜”という声に驚き逃げ帰ると魚籠の魚がなくなっていた・・・なんて話だ。
江戸時代の本所には堀割が多く、幕府の資材置き場だった御竹蔵(後に御米蔵)があった、この場所にも水路が通っていたらしい。
地図で見ると、横網1丁目の清澄通りに沿うように水路が記載されている。



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