≪Chapter of Ouji lineup≫
国立印刷局王子展示室→装束稲荷神社→
音無親水公園→王子神社→
王子稲荷神社→名主の滝公園→
正受院→金剛寺→
松橋弁財天窟跡→
飛鳥山公園→
七社神社→平塚神社→
城官寺→無量寺
石神井川から明治通りに出て飛鳥山公園へと戻ってきた。
王子1丁目と西ヶ原2丁目に股がる山には見えない台地だが、なんでも、東京都一低い山の座を愛宕山と争っているらしい。
享保年間、眺望に優れていたというこの山に徳川吉宗による桜プロジェクトが下命された。
以来、現在に至るまで花見の名所として人気のスポットとなっている。
当時、上野寛永寺(上野公園)などでは禁止されていた、どんちゃん騒ぎもOKという庶民のための場所であったという。
(飛鳥山北の眺望)
飛鳥山公園の前は、都電荒川線で唯一専用線ではなく車が一緒に走る路面電車区間だ。
桜のシーズンには多くの江戸庶民(推定)が訪れる。
(左)イベントステージ。桜祭りや区民まつりで使用される。
(右)よくある児童公園。
公園の一画にSLや都電の旧車両が保存展示されている。
(左)東京都交通局6000形電車 6080号。
(右)国鉄D51形蒸気機関車 853号機 。
飛鳥山の裏手から北東方面を望む。JRの線路が走っていて新幹線も見える。
公園内にある3つの博物館。
(左)渋沢史料館。
(中)北区飛鳥山博物館。
(右)紙の博物館。
飛鳥山公園の西ヶ原側の端っこは旧渋沢庭園となっている。
渋沢栄一は幕末から大正にかけて活躍した実業家で、銀行を初め多くの企業の設立に携わったことで知られる。
この辺りでは、王子製紙を創業者として製紙業界をリードした人物でもある。
その渋沢栄一は、明治11年、飛鳥山に別荘「曖依村荘」を建てたのだという。
曖依村荘は、空襲によりほぼ消失するが、その跡地が重要文化財の建物などと共に史跡として公開されている。
(左)「晩香廬」接待用の建物だったという。喜寿の祝いに清水組(清水建設)から寄贈されたものだとか。
(右)「青淵文庫」名前の通り書庫だったらしい。80歳と子爵の祝いだとかで竜門社から寄贈されたとある。
(左)庭の隅っこに佇む渋沢栄一の雄姿。
(右)兜稲荷社跡。兜町の第一銀行にあったものだという。三井の守護神である向島の三囲神社から勧請したものだとか。
飛鳥山1号墳。かつて古墳群があったらしきことが書いてある。
王子駅側の端っこの方に標高二十四.五米の碑がある。
この辺りからは、この24mあまりを昇り降りするモノレール「アスカルゴ」が運行されている。
所要時間およそ2分。
バックには王子神社が、眼下には坂を下る都電荒川線が見える。
(左)王子駅から飛鳥山への坂を上る都電荒川線。
(右)飛鳥山の裏側の路地へと入る。
飛鳥山とJRの線路に挟まれた路地(飛鳥小路なる名前がある)は紫陽花の名所として知られる。
本郷通りの飛鳥山交差点。飛鳥山公園の正面と言っていいだろう。
飛鳥山停留所を出た都電荒川線がカーブで信号待ちをしている。
この後は、本郷通りを西ヶ原方面に進む。