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太宗寺


内藤新宿と「内藤家」の関係は“内藤"の地名だけではなく、宿場開設の際には、敷地の一部を供出している。
当時から、内藤新宿のあった甲州街道(今の新宿通り)沿いに存在した「内藤家」の菩提寺が、ここ太宗寺だ。
寛文8年、内藤重頼によって、内藤正勝の葬儀を行った「太宗」を開山として創建された浄土宗寺院だ。
その後も、内藤家歴代藩主や一族の菩提寺であり続けたという。
(左)閻魔堂(ボタンを押すと内部の照明が1分間点く)。
(右)不動堂。

太宗寺 太宗寺

(左)正徳2年製の銅造地蔵菩薩坐像。「江戸六地蔵」の第三番目だ。
「江戸六地蔵」と言うのは江戸に通じる六街道の入り口に置かれたものだという。
これまで、品川宿編の品川寺(東海道)に一番目が、 深川編の霊巌寺(水戸街道)に五番目が登場した。
(中)閻魔堂の「閻魔像」。江戸時代には庶民の人気を集めたとある。頭部は文化年間当初のものが残存している。
(左)その隣にあってインパクトで「閻魔像」を越える「奪衣婆像」。明治のものだとある。

江戸六地蔵三番目 閻魔像 奪衣婆像

(左)不動堂内。手前のちっこいのが、新宿山の手七福神の布袋尊像。後方の暗くて見えないやつは、三日月不動像。
(中)原型がよく分からなくなっている塩地蔵。
(右)墓地の中央奧には、内藤家の墓所がある。

太宗寺 太宗寺 太宗寺

その内藤家の墓所。
都の区画整理で57基あった墓塔を3基に改装したとある(そんな事して良いのか・・・)。
3基並ぶ宝篋印塔の、中央が内藤家五代で安房勝山藩主の内藤正勝。(寛永6年建立)
右は十三代目で信濃高遠藩最後の藩主内藤頼直。左は累代藩主のもの。(共に明治の建立)
創建者の六代内藤重頼は、なぜかここにいないらしい。(京都の光明寺だとか)

内藤家墓所 内藤家墓所 内藤正勝の墓

太宗寺


太宗寺の本堂は、この近代建築の建物だった。
太宗寺をあとにして、靖国通りへと出る。



靖国通り


靖国通りへと出てきた。
前方は新宿駅方向で、後方は市ヶ谷方面になる。
次は、通り沿いに隣り合わせにある正受寺成覚寺に立ち寄る。



正受院


文禄年間に創建された正受院は、「綿のおばば 」なるもので人気だったと言う。
また、会津藩主松平容保が葬られた寺でもあるようだが、会津に改葬されたとかで現在はなにもないらしい。
境内に入ってすぐ右手に、その「綿のおばば 」と言われた「奪衣婆像」が祀られている。
(右)“綿"を被っている「奪衣婆像」。小野篁の作との伝承があり錦絵にも描かれたと言う。

正受院 正受院 正受院

(左)針塚。銅像には「和裁無形文化財 小見外次郎」とある。
(中)本堂。
(右)「平和の鐘」だと言う宝永8年製の梵鐘。戦後アイオワ州から戻ってきたものだとか。

正受院 正受院 正受院

成覚寺


この成覚寺は、文禄年間の創建、内藤新宿に多く存在した遊女たちの投げ込み寺であったと言う。

成覚寺 成覚寺

(左)宿場内での事故死や遊女との心中した人々を弔う旭地蔵。寛政12年宿場中の合力で建立されたとある。
その並びには、江戸時代の戯作者・狂歌師・浮世絵師だと言う「恋川春町」の墓がある。
(右)遊女を抱えていた旅籠屋によって万延元年に建てられた「子供合埋碑」。遊女を子供と呼んでいたらしい。
その左に「白糸塚 鈴木主水白糸ゆかりの地」なんてのが立っている。どうやら心中したものらしい。

成覚寺 成覚寺

引き続き靖国通りを進み、明治通りとクロスする新宿五丁目交差点まで来た。
この明治通りと先ほどの新宿通りがクロスする新宿三丁目交差点が「新宿追分」で内藤新宿の終点だ。
その逆方向の、明治通り沿いには、花園神社が見えてくる。

靖国通り 新宿五丁目交差点

花園神社


内藤新宿時代から新宿の鎮守として存在する花園神社に来た。
"花園"の名前は、ここが尾張藩下屋敷の庭園にあった花園の跡地である事に由来するらしい。
ただ、江戸時代は「三光院稲荷」が正式名称であったようで、愛染院の別院「三光院」が別当寺院として存在し、
その境内に「稲荷神社」があったものと思われる。
その後、明治の神仏分離で神社は独立し、大正時代に「花園稲荷神社」になる。
そして、正式に花園神社になったのは昭和40年のことであると言う。
明治通り沿いにある、この鳥居は平成8年のもの。

花園神社

(左)昭和40年製、鉄筋コンクリートの拝殿。
(右)宝物殿と山車庫だとか。

花園神社拝殿 花園神社

拝殿の額を見ると「雷電神社」「花園神社」「大鳥神社」が合祀されている。

花園神社 花園神社 花園神社

(左)天水鉢。合祀されている三社のマークなのだろう。
(中)威徳稲荷神社の鳥居。
(右)鳥居から境内。

花園神社 花園神社 花園神社

境内の端っこに、「芸能浅間神社」なんてものがある。
江戸時代から芝居や舞踊の興行に縁が深かったため、現在も芸能関係の奉納が多いことで有名だとある。

花園神社 芸能浅間神社 花園神社 芸能浅間神社

芸能人の名前が多く並んでいる。

花園神社 芸能浅間神社 花園神社 芸能浅間神社 花園神社 芸能浅間神社

この一対の、銅製唐獅子は、文政4年に名工「村田整岷」により鋳造されたもので区の文化財だとある。

花園神社 花園神社

靖国通りから見える花園神社の鳥居。

花園神社

最後は、新宿駅東口に来た。今回はここを終点とする。
(右)明治39年に、ロンドン水槽協会から東京市に寄贈された馬水槽だとある。
現在の東京国際フォーラム前に設置されていて、大正初期まで実際に馬が水を飲んでいたらしい。

JR新宿駅 馬水槽

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