≪Chapter of YotuyaSinjyuku lineup≫
四谷駅→
西念寺→勝興寺→
西応寺→戒行寺→
宗福寺→須賀神社→
愛染院→東福院→
新宿歴史博物館→
祥山寺→本性寺→
陽雲寺→田宮稲荷神社→
長善寺→多武峯内藤神社→
新宿御苑→太宗寺→
正受院→成覚寺→
花園神社→
新宿駅
新宿通りへと戻ってきた。
対岸に「新宿歴史博物館→」の表示が見える。次の目的地だ。
新宿歴史博物館は、
内容やネーミングに多少の違いはあっても、たぶん、どこの区にもある郷土資料館だ。
平成元年にスタートしたと言う小綺麗な施設である。
日曜でも、閑散としていて、見学者が数名なんてあたりは、まあ、お約束と言って良いだろう。
ある意味、落ち着いて見られるとも言えるか。
新宿歴史博物館の公式HP
(左)奧に見えるのは市ヶ谷防衛省の電波塔か?この通りを直進すると右側に博物館の建物が現れる。
(中)新宿歴史博物館の建物。銀色のペン先の曲がった万年筆みたいなオブジェがトレードマーク。
(右)建物の横に、ちょこっとある中庭。
(左)入り口前にある「四谷見附橋 高欄」。大正時代のもので、パリで流行したネオ・バラック洋式なるものだとか。
(右)中庭にある、この水鉢は酒井家下屋敷にあったもの。酒井忠勝の墓前に奉納されたものだとある。
内藤新宿の模型。
左端が、甲州街道と青梅街道の分岐点「新宿追分」で、右端が「四谷大木戸」。
現在の、新宿3丁目(伊勢丹本店とかあるあたり)〜四谷4丁目まで。
右端の手前が、新宿御苑の前身である内藤家の下屋敷と思われる。
(左)新宿追分。曲がっていく方が甲州街道で、手前の道が青梅街道になる。
(右)中央奧は、高遠藩内藤家の菩提寺太宗寺だと思う。
(左)江戸時代の商家。
(中)東京市電5000形。
(右)地下ロビーにある小田急ロマンスカーのシート。ちょこっと休んでから次へと向う。
新宿通りに戻り、「津の守坂入り口」の交差点付近にきた。
昔は、道の対岸の坂上に「美濃高須藩主 松平摂津守」の
屋敷があったらしい。
でも、そっちには行かず、再び若葉方向に曲がっていく。
確かに参道やゲートはあるが、一見廃寺にも見える?ここは祥山寺。
江戸時代、付近には伊賀組の屋敷があったエリアで、「忍者寺」と呼ばれたところなんだとか。
境内とは見えないような空き地の片隅にある地蔵は、伊賀組の人々を供養した「忍者地蔵」だと言う。
案外、普通の地蔵・・・もっとも手裏剣とか持ってたら逆に嘘っぽいか・・・
さらに須賀町まで戻ってきて、本性寺に来た。
前半で訪れた須賀町の寺院の並びにあるので先に来れば良かったのだが。
ここは、千葉の本土寺系列の日蓮宗寺院で、寛文年間の創建だとある。
この山門と、その奧の毘沙門堂は元禄期の建立で、釘を使わない切組造り手斧削りだとか。
(右)萩原宗固の墓。さっきの愛染院に墓所のあった塙保己一の師匠で、国学者、歌人だとか。
この毘沙門堂の主には、「北向き毘沙門天」の異名がある。
徳川家康が仙台の伊達政宗の反乱を警戒して北向きに置いたなんて伝説があるらしい。
(右)本堂らしき建物。
住所は左門町、江戸時代には先手組の屋敷地だったところだ。
先手組は合戦では、文字通り先陣に立つはずだった足軽隊の事で、
戒行寺で登場した長谷川平蔵など歴代の火付盗賊改方の
長官がトップを努めていた。
四谷界隈と言うことで、ここには「四谷怪談」関連のスポットもある。
そもそもヒロインの「お岩さん」と言うのは実在したらしいのだ。
そして、話の舞台となった「田宮家」が、このあたりにあったらしい。
御家人だったらしいその「田宮家」で「お岩さん」が信仰していたお社が、
後に人気化したものが、次に出てくる於岩稲荷であると言う。
と言うわけで、於岩稲荷の幟が立つ陽運寺に来た。
赤い山門をくぐると、左手に赤い本堂がある。
「お岩さん」を奉っているのは確かなのだが、ただ、「お岩さん」の墓って言うのは。
巣鴨の妙行寺
にある。
(右)境内の様子。「お岩稲荷霊堂再建記念碑」なんてのが建っている。
(右)「お岩様 由縁の井戸 現在も御霊水として使われています。」とある。
道を挟んで、斜め前にも「於岩稲荷」の幟が立っている。
こちらは、田宮稲荷神社で、「お岩稲荷神社」の旧地だと書いてある。
明治になって田宮稲荷神社に名前が変わり、その後、火災や戦災に見舞われ消失しているらしい。
現在は、中央区新川に田宮稲荷神社の本社があって、ここは「旧地」と言う扱いになったんだとか。
(右)道の両サイドに「於岩稲荷」を標榜する幟が立っている。