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戒行坂 戒行坂


引き続き須賀町の同じ道沿いにいる。
先程の勝興寺西応寺も含めて、この道の両サイドには、
いくつもの寺院がある。
行く手に、またまた、坂の表示がある。
「戒行寺坂」の名前の由来は、坂を下りる手前にある、
戒行寺で、その表示も寺の前にある。
当然、次は、その戒行寺に入る事にする。



戒行寺(長谷川平蔵の供養碑)


ここは、長谷川平蔵の寺として知られる戒行寺だ。
言うまでもなく、「鬼平犯科帳」で主役を張る長谷川平蔵宣以の事だ。
長谷川平蔵は、最も有名な「火付盗賊改役」と言っていいだろう・・・と言うより他に知らない・・・
この戒行寺が長谷川家の菩提寺と言うことで、平蔵もここに葬られたようなのだが墓はないみたいだ。
現在は、境内に供養碑が建っている。

戒行寺 戒行寺

これが、その長谷川平蔵の供養碑。
「火付盗賊改方 長谷川平蔵宣以供養之碑 法名 海雲院殿光遠日耀居士 寛政七年五月十日 享年五十歳」
平成7年に出来たものらしい。
この時は、見学に訪れている小集団もあり賑やかだった。「鬼平」人気なかなかのものだ。

長谷川平蔵の供養碑 長谷川平蔵の供養碑 戒行寺

宗福寺(源清麿の墓)


つづいては、戒行寺の斜め前あたりにある宗福寺に来た。
ここには、江戸時代の名のある刀工の墓があるのだと言う。
まずは、その刀の切れ味から「四谷正宗」の異名をとる幕末の名工源清麿がいる。
本名を山浦環と言い、兄の山浦真雄と共に名工として知られる存在だったらしい。
その山浦真雄と並び称されたと言うのが、ここでの、もう一人の名工水心子正秀だ。
本名は川部儀八郎で、山浦真雄、それと大慶直胤で「江戸三作」などと呼ばれるらしい。
いずれも、現在まで人気の作品が残る刀工らしいのだが、マニアックすぎてわからない。

宗福寺 宗福寺

刀工たちの墓は本堂の横に並んである。
一番右が、水心子正秀(天秀)の墓。
となりには、水心子正次の名もある。大慶直胤に師事し水心子の三代目も継いだものらしい。
奥から2つ目が、源清麿の墓。
けっこう波乱の人生を歩んでいる人物らしく、そこも人気のポイントだとか。
あとは、間に挟まるように刀剣学者だと言う「内田疎天」なる人物の墓がある。

宗福寺 宗福寺 宗福寺

須賀神社(三十六歌仙絵)


やや適当に歩いて、次に着いたのは四谷の鎮守須賀神社だ。
とりあえず、江戸城外堀の工事で、ここに引っ越して来たってあたりの事情は、付近の寺院と同じようだ。
元々は、牛頭天王社と稲荷社の二社であったのが、明治になって須賀神社に纏まったものだとある。
境内は戦災で消失しているため社殿などの建物は戦後のものだが、 社殿に保存されている、「三十六歌仙絵」が天保年間に
奉納された文化財であるという。
その「三十六歌仙絵」、絵は「大岡雲峰」で、書は「千種有功」(江戸時代の公家)だとある。
境内には、その「三十六歌仙絵」を紹介するコーナーもある。

須賀神社 須賀神社

社殿の壁面上部には、ぐるっと「三十六歌仙絵」と思しき額が掛かっている。
ラインナップには、柿本人麿、紀貫之、在原業平など有名人が多い。
と言うより、そもそもメジャーどころを選抜したものが「三十六歌仙」だったっけ。

須賀神社 須賀神社

(左)無理にアップにしてみた「三十六歌仙絵」の額。
(右)伊豆長八の高弟で四谷の左官「吉田亀五郎」作の「鏝絵」らしい。

須賀神社 須賀神社

(左)これも「鏝絵」か?。
(中)見ての通りの大黒像。
(右)梯子と半鐘に「く組」の文字。たぶん、消防関係の碑なんだろう。

須賀神社 須賀神社 須賀神社

鳥居をくぐって神社をあとにする。
(右)この坂を下って、その先の道をまっすぐ進む。

須賀神社 須賀神社 須賀神社

東福院坂 東福院坂


須賀神社からの坂を下りてきたのに、また地味に上り坂。
「東福院坂(天王坂)」なんて表示がある。
名前の由来は、坂の中腹に東福院があるから。
まあ、そのまんまだ。
(天王坂)については、先程の須賀神社の前身の一つ
「牛頭天王社」にちなんだ呼称。
坂を上がっていくと、左右に寺が見える。
住所的には、須賀町から若葉に戻ってきている。
まずは、手前にある愛染院に入ってみる。



愛染院(内藤新宿開発者 高松喜六の墓)


この愛染院は、奈良県の長谷寺系列の真言宗寺院だとある。
真言宗なので、由来的には弘法大師がどうしたとかって話になるだが・・・よくわかんないんで省略して・・・
とりあえずここも、外堀の拡張工事で引っ越して来たあたりの事情は共通している。
(左)本堂まわりの境内。
(右)境内の片隅に置いてある鐘。

愛染院 愛染院

内藤新宿の生みの親だと言う高松喜六の墓がある。
元禄期に宿場開設を幕府に願い出て許可されたのだとある。
内藤新宿開設後は、名主に収まっているのだが、地元の人ではなく、元々は浅草の地主であったらしい。
墓石の右サイドには、「内藤新宿開発人高松金八友常」と刻まれているようだ。

高松喜六の墓 高松喜六の墓 高松喜六の墓

これは塙保己一の墓。江戸時代の国学者で賀茂真淵の晩年の弟子らしい。
和学講談所を開設し資料の編纂事業に従事、代表的なものに「群書類従」「大日本史料」などがある。
もっともらしく言ってみたが、聞いたこともない人。
墓石には、「前総検校塙先生之墓」とある。
江戸時代の検校とは盲人組合みたいな組織の中で地位の高い者を指し、 検校ともなれば、かなりの権力と富を得る事も可能であったらしい。

塙保己一の墓 塙保己一の墓 塙保己一の墓

東福院(豆腐地蔵)


「東福院坂」の途中、愛染院の向かい側にあるのが、東福院だ。
一見、なんにもない感じなのだが、狭い境内の右側にあるのが「豆腐地蔵」なるもの(中)らしい。
悪どい豆腐屋に、手を切られた坊さんが、実は地蔵だった・・・みたいな伝説があるらしい。
確かに、左手部分が欠けているようだが・・・

東福院 豆腐地蔵 東福院

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