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弘福寺


独特なデザインの山門が見えてきた。
この弘福寺は、延宝年間に時の老中 稲葉正則により建てられた黄檗宗という禅宗の一派だとか。
建物は関東大震災で被災、昭和8年に再建されたもので、中国明様式なんだとか。

弘福寺 弘福寺

そう思って見ると本堂も中華風に見えるか。

弘福寺 弘福寺

(左)鳥取藩の支藩、若桜藩の5代藩主 池田定常(冠山)の墓。文学者としても優秀な人物だったらしい。
弘福寺は、元々、鳥取藩池田家や津和野藩亀井家の菩提寺で、津和野出身だった森鴎外も関東大震災までは、
ここに眠っていたのだという。

弘福寺 弘福寺

長命寺


弘福寺のとなりには長命寺がある。
創建されたのは平安の頃とも江戸初期とも言われるようだ。
なんでも、鷹狩りに出かけた三代将軍家光が体調を崩した際に、境内の井戸水で薬を飲んだら治ったのだとか。
その一件により、井戸水は長命水に、寺号は長命寺になったのだという。
長命寺は、安政の地震、関東大震災、空襲と、その都度被害に遭ったとあり、現在の建物は昭和39年のものらしい。
(左)長命寺の山門。幼稚園が併設されているようだ。
(右)本堂。弁財天を祀っている。

長命寺 長命寺

(左)これが、その長命水だ。ただ、井戸水は枯れていて、現在は水道水を引いているらしい。
(右)橘守部・橘冬照の墓。 橘守部は、江戸後期の国学者で日本書紀の研究者であったらしい。

長命寺 長命寺

境内には、石碑の類が多く見られる。
(左)芭蕉雪見の句碑。「いざさらば 雪見にころぶ所まで」という句で代表的なものらしい。
(右)明治の実業家、成島柳北の碑。
幕末には外国奉行など幕臣として活躍し、明治期には、朝野新聞の社長に就任している。
また、生命保険制度に精通していて、共済五百名社(明治安田生命の前身)の創立に尽力したのだという。

長命寺 長命寺

長命寺桜もち


長命寺の裏手、隅田川土手の上に「長命寺桜もち」の店がある。
八代将軍吉宗が、桜を植樹し花見客で賑わうようになった頃、長命寺の
門番だった山本新六という人物が隅田川土手の桜の葉を見て開発した
もので、それを、花見客相手に長命寺の門前にて売り出したところヒット
商品となったのだという。
以来、現代まで続く向島の名物だが・・・食べた覚えはない・・・



言問団子


土手下にも江戸より続く、食べたことない名物菓子の店がある。
この言問団子は、江戸末期に植木屋の外山佐吉という人物が梅の実
から連想して開発したものだとか。
また、“言問"というのは、在原業平が隅田川で句を詠んだという伝説
に擬えたネーミングであるという。
この言問団子もヒット商品となり、佐吉さんは団子屋に転身したらしい
のだが、近所で繁盛していた長命寺桜もちとはライバル関係でもあった
ようだ。



墨堤植桜の碑


墨堤植桜の碑なんてものが建っている。
八代将軍吉宗の命により堤に桜が植えられ桜の名所となった・・・
というあたりの下りが記されているらしい。
写真では、全然分からないが、タイトルは榎本武揚によるものだとか。



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