東向島の明治通りに隣接する一角に向島百花園がある。
向島百花園がオープンした文化年間は、町人文化が興隆した時代で、
オーナーの佐原鞠塢は骨董商であったという。
また、絵師や狂歌師などの文化人が常連客となっていて、アドバイザーなどとして運営に協力していたようである。
当初は、梅が中心で、当時有名だった亀戸の「梅屋敷」に対して「新梅屋敷」と呼ばれたという。
その後も、様々の植物が植えられていく中で「百花園」の呼び名が付けられたらしい。
≪ Chapter of mukoujima lineup ≫
吾妻橋→
隅田公園→牛島神社→
三囲神社→弘福寺→
長命寺→
秋葉神社→白鬚神社→
向島百花園→
東武博物館→
隅田川神社→
木母寺→
多聞寺→
綾瀬橋
町人による民営の庭園としてスタートした百花園だが、その後も昭和の初期まで民間経営が続いていたという。
現在は、東京都の所管であるが、同じく都が管理する六義園などの大名庭園とは趣が異なる。
定番の築山や石組み、あるいは滝といった装置はみあたらない。
あくまで、植物がメインなのかもしれないが、素人目には単に規模が小さいとしか・・・。
ひょうたん、へちま、かぼちゃ、ザクロ。自分にも判別可能なものたち。
園内には多数の句碑などが立っている。
右は、日本橋の石柱だとある。模造品らしいのだが文字が徳川慶喜によるものと伝わっているんだとか。
園内からは、お約束のスカイツリーの姿も見える。
この土地は、多賀氏という旗本の屋敷跡だったようなのだが、武家屋敷の遺構などは特に見あたらない。
大名庭園に比べ、池は細長く小さなもので、橋くらいは架かっているが、それ以上の凝った造作は感じられない。
ベンチからのんびり池を眺めてみる。
このハギのトンネルが満開の頃には、多くの江戸庶民(推定)が訪れる。