HOME(23区)目黒

≪Chapter of Meguro lineup≫
中目黒駅大鳥神社蟠竜寺目黒不動尊氷川神社安楽寺安養院成就院五百羅漢寺海福寺大円寺目黒駅


東急目黒線の不動前駅まで来た。
目黒不動は、目黒区下目黒だが、この駅があるのは西五反田でいつの間にか品川区に入っているようだ。
道標に付近の寺院らしきものが載っているが、徒歩3分らしい安楽寺の方向に行ってみる。

不動前駅 不動前駅

氷川神社


道沿いにある氷川神社に入ってみる。東京に本当に多い神社だ。
この氷川神社は、江戸期に創建されたものと推定される桐ヶ谷村(西五反田辺りなのだろう)の鎮守だという。
(右)鉄砲石なるもの。幕末に御殿山の料亭にあったもので志士たちが鉄砲の標的にしたという弾痕が残っている。

氷川神社 氷川神社

(左)現在は、僅かに湧き水があるのみだが、昔は、江戸七瀑布のひとつ氷川の滝があったのだという。
(右)昭和13年の再建だという社殿。

氷川神社 氷川神社

安楽寺


氷川神社を後にして、元の道を進む。
道の先は、首都高速2号目黒線(目黒区は通ってないらしい)だが、
そこまでは行かない。
その手前に、不動前駅から3分の表示が出ていた安楽寺がある。



安楽寺


その安楽寺まで来た。
創建は天正にルーツを持つという天台宗寺院で、先ほどの氷川神社の別当寺院であったところだという。

安楽寺 安楽寺 安楽寺

(左)本堂。
(右)境内に白井権八・遊女小柴の連理塚なんてのがある。目黒不動の参道にあったものと同じ類のものか。

安楽寺 安楽寺


品川区から再び目黒区に戻り、ここは、目黒不動の間近の 不動商店街だったかな。
「秘密のヴェールをぬぐヒマラヤ仏教 安養院美術館」なんて看板がある・・・秘密のヴェール・・・
ねえ・・・ とりあえず、入ってみる。



安養院


この参道を進むと、また、品川区西五反田になるらしい。このあたり目黒区と品川区境目だってことか。
安養院は、平安時代創建とされる天台宗寺院だ。
元々は、目黒不動の末寺であったが、延暦寺の系列に変わったいるのだとか。
江戸時代には、芸州藩浅野家が有力な檀家であったという。
(右)中国清代狛犬一対

安養院 安養院 安養院

(左)山門。
(右)円盤を載せた地蔵?。

安養院 安養院

(左)観音堂。
(右)右側の石塔が区の文化財で、念仏供養塔だとか。

安養院 安養院

どうやら、本堂の地下が、秘密のヴェールの美術館になってるみたいなのだが・・・
と、ここまで、引っ張っておきながら、800円高いなあ・・・と思って観なかった。

安養院 安養院

蛸薬師 成就院


山門に“蛸薬師”の提灯が下がる成就院は、平安時代の天安2年に創建されたという古刹である。
なんでも、本尊が3匹のタコの上に乗る薬師如来なのだとか。
江戸時代の元和年間には、徳川将軍家や会津藩保科家との縁の深い寺院となっている。
徳川家光が当時の住職より保科正之(実弟とされる)との関係を知らされ、それにより会津保科家の誕生に繋がったのだという。

成就院 成就院

(左)本堂。
(右)たこの絵馬。

成就院 成就院

(左)江戸時代の庚申塔や地蔵。
(右)お静地蔵。徳川二代将軍秀忠公の側室 お静の方(保科正之の生母)が奉納したものだとか。

成就院 成就院

五百羅漢寺


続いては、全然、寺に見えない五百羅漢寺。社号と提灯とこの僧っぽい像がかろうじて寺だと主張している。
江戸時代に本所に建てられ随分と繁栄していたようだが、明治維新後は没落し目黒に引っ越してからも不遇が続いたのだという。
ようやく、復活したのが昭和57年というから近代建築で寺っぽくなくなってしまったのも、そのあたりの事情だろう。
階段を上がってみたが、そこからは通行料(ではなく拝観料)を払わないと、なんにも観るものがない。
五百羅漢寺のHP

五百羅漢寺 五百羅漢寺

羅漢堂(撮影禁止)の回廊を抜けると、僅かに開けたスペースがあり大雄殿(本堂)がある。
(右)建物の屋上からの景色。
正面が「本堂」。右下の屋根が「羅漢堂」で、それぞれ羅漢像が並んでいる。
手前の階段(たぶん利用不可)は、降りたらかなり恐いと思うが・・・

五百羅漢寺 再起地蔵

(左)蛸薬師 成就院のある方向を見たところ。
(右)イメージ沸かないだろうなあと思い、パンフレットの写真を掲載。
こんな感じのが、羅漢堂及び本堂に、これでもかと並ぶ。
こうやって見ると、元は金色だったようだ。昔は、だいぶ迫力が違って見えたんじゃないかと思われる。

五百羅漢寺 五百羅漢寺

海福寺


すぐとなりにあった、この海福寺にもよってみる。
江戸時代、明からの帰化僧隠元(インゲン豆を伝えたとされる)によって深川に建てられたのが起源らしい。
ここには、明治になってから引っ越して来たようなことが書いてある。
(右)階段途中の左手にある「文化四年永大橋崩落横死者供養塔及び石碑」。
文化四年のに催された深川八幡宮の大祭に押し寄せた人々により永代橋が崩落したのだという。

海福寺 海福寺

(左)区の文化財らしい「四脚門」。明治後期に新宿区の上落合の「泰雲寺」から引っ越してきたものだとか。
(右)本堂。

文化四年永大橋崩落横死者供養塔及び石碑 海福寺

(左)都の文化財だという江戸時代の梵鐘。天和2年の火事で消失し新鋳したのだとか。
(右)武田信玄の屋形(躑躅ヶ崎館か?)にあったと伝わる九重塔らしい。

海福寺 鐘楼

山手通りに戻ってきた。
(左)「松雲羅漢像」。先ほどの五百羅漢寺の羅漢像の作者らしい。
松雲羅漢 山手通り


山手通りを渡り、更に不動通りを渡るとホーロー看板を張り巡らせた店が目に付く。
“レトロの店”とあるが・・・この“大森海岸”を見る限り、鉄道ファンの飲み屋か?

レトロな店 レトロな店

再び、目黒川に来た。携帯で桜を撮る人々と、なんとなく眺める人々で賑わっている。

太鼓橋 太鼓橋

全然、太鼓橋じゃない「太鼓橋」を渡ると「目黒雅叙園」がある。
(右)「お七の井戸」らしい。ただ、「八百屋お七」本人ではなく、その相手とされる吉三ゆかりのものみたいだが。

目黒雅叙園 目黒雅叙園

(右)目黒雅叙園の廊下。昔の太鼓橋であろうか?

目黒雅叙園 目黒雅叙園

行人坂


目黒雅叙園の前からJR目黒駅へと続く行人坂を上がる。
なんでも、その昔、徳川家康が住民に害をなす不逞の輩を放逐するために湯殿山から高僧行人(大海法師)を招いたのだという。
その大海法師が開いたのが坂の途中にある大円寺で行人が多く住んでいたのだとか。



大円寺


結構な急坂の行人坂を上がっていくと、すぐに「大円寺石仏群」なる石碑が見える。
なんといっても、この大円寺は、明和の大火の火元になったことで名を馳せた場所だ。
寺号が同じである事に関係があるのかは分からないが、 駒込の大円寺とは、「大火事の火元(天和の火事)」だったり、
「八百屋お七のゆかり」だったりと共通点がある。
(右)本堂。山手七福神の大黒天にあたる。

大円寺 本堂

(左)本堂のよくある龍の彫り物。
(右)阿弥陀堂。「木像の阿弥陀三尊像」と「西運上人の木像」・「お七地蔵」なんかが祀られているらしい。

阿弥陀堂

これが、石仏五百羅漢像明和の大火の犠牲者を弔うものらしい。

五百羅漢像 五百羅漢像

(左)七福神が揃い踏み。
(右)八百屋お七と吉三のエピソードと吉三のその後(西運)について書かれている。
案内板によると、「お七」が火炙りにあった事件は、西運の人生に影を落とし続けたらしく「お七地蔵」を祀り、 さらには、先ほどの「太鼓橋」をかけてみたりと社会的事業にモチベーションを転訛させていったらしい。
ただ、お七は、明和の火事の犯人ではなく、天和の火事で焼け出されたあと、放火に目覚めたことになっている。
そのあたりは、駒込編の大円寺・円乗寺でちょこっと触れている。

お七と吉三の由来

目黒駅


大円寺をあとにして、行人坂を上りきると「目黒駅」に出る。
なんとなく、終点っぽいところに来てしまったので、今回はここまでに。



<< 前へ   このページのTOP   目黒編のTOP   23区歴史スポット