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漱石公園(夏目漱石終焉の地)


このあたり一帯は、江戸時代に御持筒組あるいは根来組の屋敷地だったエリアだという。
名前の通り、どちらも有事には鉄砲隊として組織されるはずのメンバーだ。
と言う話は、関係なく、「漱石公園→」の正体がこれだ。
夏目漱石が晩年住んでいた「漱石山房」なる建物の跡地らしい。
「三四郎」「それから」「門」などと言った代表作を執筆していた家だとある。
(左)公園入り口にある夏目漱石の雄姿。
(右)「漱石山房」について、ちょこっとした展示スペースもある。

漱石公園 漱石公園

(左)猫塚なるもの。案内板には、「我が輩は猫である」の猫ではなく、遺族の飼っていたペットのものだとある。
ちなみに、その「我が輩は猫である」の猫も、この家で死んでるらしい・・・
(右)「第四十九号 指定書 名称 夏目漱石終焉の地・・・右を新宿区指定史跡に指定する 東京都新宿区教育委員会」。
史跡認定の際には、どうやら、こういったものが発行されているようだ。

漱石公園 漱石公園

(左)微妙な広さの庭もある。いや、個人の家の庭だったとすれば広いか。
(右)当時のベランダを再現したものだとか。

漱石公園 漱石公園

宗参寺(山鹿素行の墓)


引き続き、弁天町を歩いている。
前半では、「牛込城跡」の光照寺が登場したが、 ここ宗参寺はその「牛込氏」の菩提寺だ。
大胡重行(牛込に移って来た人)の供養のため、牛込勝行(牛込さんになった人)が天文年間に建立したものらしい。
当時、後北条氏の旗下にいた「牛込氏」は、北条滅亡後に徳川の旗本として存続している。
現在、本堂はただの近代建築だが、「牛込」さんや、山鹿素行と言った人々が史跡となって(墓所が)眠っている。

宗参寺 宗参寺 宗参寺

(左)山鹿流の兵法で有名な山鹿素行の墓所。
甲州流軍学を修得し、門弟に大石内蔵助なんてのがいた事でも知られる。
ちなみに、甲州流軍学の祖、小幡景憲の墓所は雑司ヶ谷編の法明寺にあった。
(右)山高氏の墓所。実際は、左右にも墓石が並んでいる。
マイナー過ぎて知らなかったが、甲斐の武田氏の支族で、武川衆に属していた一族らしい。
武田家滅亡後の家康による武田遺臣吸収の過程で旗本になったと思われる。

山鹿素行の墓 山高氏の墓

これが「牛込氏」の墓所だ。右側の案内板が立ってるやつが、大胡重行牛込勝行の供養塔。
寛文4年に牛込勝正が建てたものだとある。
他にも、左手に「牛込家累代」と見える墓や、奧には「大胡家」の墓も見える。
(右)“牛込"“大胡"の文字が読み取れる。

牛込氏の墓 牛込氏の墓 牛込氏の墓

(左)早稲田通りに戻ってきた。また、早稲田方面に歩く。
(右)早稲田駅前の交差点まできた。右奥に見えるのは穴八幡神社
「夏目坂通り」なんてのが、左側にあるので、ちょっと行ってみる。

早稲田通り 早稲田駅前

「夏目坂通り」と言うくらいなので、ここは「夏目坂」。夏目漱石の実家があった場所らしい。
「夏目坂」の名前の由来は、名主だった漱石の親父「夏目直克」が名付けたものだとある。 なんという力業・・・
(左)「夏目漱石誕生の地」の碑。

夏目坂通り 夏目坂通り 夏目坂通り

誓閑寺


夏目坂の途中にあった、誓閑寺に、なんとなく入ってみる。
創建は寛永年間、 尾張家の下屋敷と隣接していて、その奥女中の墓が多くあったところらしい。

誓閑寺 誓閑寺 誓閑寺

こぢんまりとした境内は・・・樹木が多い。庭の植物に建物が隠れている感じだ。
(右)天和2年製、新宿区最古の梵鐘だとある。夏目漱石の随筆「硝子戸の中」に登場するんだとか。

誓閑寺 誓閑寺

来迎寺


夏目坂の上にある来迎寺にも入ってみる。
案内板に、寺の由緒などは書かれていないが、東京石材と言う会社のサイトに、
「寛永年間1632年開祖家光の代、旗本両替商の方々のお力添えによって建てられました。旧幕臣が多いです。」
とあった。まあ、そうなんだろう。

来迎寺 来迎寺

(右)案内板に説明があったのは、この庚申塔についてだ。延宝4年の古いものなんだとか。
また、読み取れる古地名に資料的価値があるような事が書いてある。

来迎寺 来迎寺 来迎寺

穴八幡神社


夏目通りを引き返し、早稲田通りに戻り、最後は穴八幡神社に来た。
この穴八幡神社は早稲田編でのスタート地点だった。
神楽坂の名前の由来は、ここの祭礼の“神楽"であるとの説もあるようだ。
と、言ったところで、今回の「神楽坂編」はここまで。
早稲田駅へと向う。



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