≪ Chapter of Ueno lineup ≫
湯島天神→妻恋神社→
霊雲寺→大徳寺(アメ横)→
教証寺→旧岩崎邸庭園→
講安寺→妙極院→鴎外荘→
不忍池→下町風俗資料館→
清水観音堂→
西郷隆盛像→花園稲荷→
五條天神社→上野大仏→
上野東照宮→
噴水→国立西洋美術館→
東京国立博物館→両大師堂→
寛永寺→円珠院→
護国院→
旧吉田酒店
住所は池之端に入り、旧岩崎邸庭園の入口斜め前あたりに教証寺という寺院がある。
江戸時代前期に起源を持つお寺らしい。
なにやら案内板が出ているのでちょこっと覗いてみる。
案内板によると、柳瀬美仲
という江戸中期の歌人の墓があるんだとか。
境内の奧にある
「隠口先生美仲甫之墓」
というのがそれらしい。
“はつせ路や 初音聞かまく尋ねても まだこもりくの山ほととぎす"
この一首により
知られるとある。
知らないんだけど・・・
不忍池から程近いところにある「旧岩崎邸庭園」。
江戸時代には、越後高田藩榊原家中屋敷だった場所だ。
なのだが、見えてくるのは、大名庭園ではなく洋館。
この洋館は、明治期の三菱財閥総帥岩崎家の旧邸跡だ。
現在は東京都の管理する庭園の一つとなっているのだが、
他にも、六義園・清澄庭園・殿ヶ谷戸庭園は
岩崎弥太郎が買い取り、
岩崎家の別邸となっていた所だとある。
岩崎家のスケールの違う栄華を想像させるものだ。
旧岩崎邸庭園の公式HP
無縁坂沿いの「旧岩崎邸庭園」の外壁。この坂の下を右折すると入り口。
右は、袖塀。三菱の社章のベースともなった岩崎家のエンブレムが描かれている。
これが、ジョサイア・コンドルの設計だと言う、メインの洋館。
木造2階建の地下室付き洋館で、本格的なヨーロッパ式邸宅だとか。
明治29年に完成し、当初は敷地15,000坪、20棟以上の建物があったという。
洋館の建築スタイルについては、
全体はイギリス・ルネサンス様式で、17世紀のジャコビアン様式が随所に見られ、 1階列柱はトスカナ式、2階列柱はイオニア式の装飾が特徴である。
米国・ペンシルヴァニアのカントリーハウスのイメージも採り入れられた。
こんな感じに、解説文があるが、さっぱり分からない。
洋館内部。
2階から、和館・芝生・撞球室の各方面を望む。
和館へと続く渡り廊下。和館の造築は、大河喜十郎によるものだとか。
昭和に入って、ごっそり敷地を削られたとかで、
往時は広大な居住空間だったという和館は、ほとんど取り壊され一部が残るのみらしい。
ここ同様に、洋館がメインになっている「旧古河邸庭園」と比べても、庭園としてのフィールドは狭い。
“庭園"と言う言葉がしっくりこない印象すらある。
やはり、東京都の庭園と言えば大名庭園のイメージが強いせいもあるだろう。
要は、真ん中に池がないからだ。
左から、和館・洋館・撞球室。
右が、「撞球室」。今で言うビリヤード場なんだとか。洋館同様、ジョサイアコンドルの設計によるものだ。
(左)撞球室の前の椅子。
(中)今は空っぽの室内。
(右)洋館と地下で繋がってるらしい階段。
旧岩崎邸庭園の側面「無縁坂」沿いに講安寺がある。
どうやら、江戸時代の建物が残る寺院と言うことらしい。
案内板によると、土蔵造りの本堂が宝永〜寛政期のもので
客殿と庫裏が幕末のものだという。
(左)昭和の再建だが江戸時代の洋式が保たれていると言う山門。
(右)左が本堂、右に庫裏、共に区の文化財となっている。
引き続き、もう少し池之端界隈を見てみる。