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≪Chapter of Ikou lineup≫
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東岳寺(歌川広重の墓)


尾竹橋通り沿いにあるここ東岳寺は、歌川広重が眠る寺として知られる。
ここにしても、足立区に広重?・・・と、一瞬思うのだが、また例によって浅草から引っ越してきた寺院らしいのだ。
伊興に移ってきたのが、昭和36年とあるので、関東大震災を契機に移ってきた他の寺院に比べるとちょっと遅い。
境内は、大して広いものではないが、良く手入れされていて凝った造りの庭が広がっている。

東岳寺 東岳寺

境内の左手に「東海道五十三次」や「名所江戸百景」などで、あまりにも有名な、あの広重のコーナーがある。
(左)大正13年建立とある「広重記念碑」。
(中)昭和33年に再建された広重の墓。「一立齊廣重墓」と読める。
(右)広重塚だとか。言われればそう読めるような気も・・・

広重記念碑 広重の墓 広重塚

(左)「俳風柳多留」の版元「花屋久次郎」の記念碑だとか。広重と関係ない?とりあえず、知らない人。
(中)広重を海外に紹介したアメリカ人「ジョン・S・ハッパー」の墓だとか。日本在住46年の広重マニアだったらしい。
(右)本堂は、よく見かけるタイプの近代建築。

版元 花屋久次郎の記念碑 ジョン・S・ハッパーの墓 東岳寺

小さくとも綺麗な境内の日本庭園。

東岳寺 東岳寺

東岳寺 東岳寺

東岳寺 東岳寺

白旗塚史跡公園


尾竹橋通りを渡り西伊興から東伊興へと向う。
再度、ぐぅ〜っと時代を戻して古墳時代、 東武鉄道の高架沿いにある白旗塚史跡公園に来た。
ここには、伊興に唯一残る古墳があり、 奥州の安倍貞任との決戦(前九年の役)に赴く途中の源頼義義家親子が、
源氏のトレードマーク“白旗"を立てたという伝説があるらしい。

白旗塚史跡公園 白旗塚史跡公園

なんとなくイメージするものを置いてみたって感じの園内。
(右)堀に囲まれた古墳。推定5〜6世紀のもので直径12m高さ2.5m内容不明だとか。

白旗塚史跡公園 白旗塚史跡公園

雰囲気を演出するためのオブジェたち。

白旗塚史跡公園 白旗塚史跡公園 白旗塚史跡公園

竹ノ塚駅


竹ノ塚駅のロータリー。
さっきの白旗塚史跡公園あたりの古墳に生えていた竹が、
ここ「竹の塚」の地名の由来だとも言う。
この後は、再び東京方面(ここも東京だけど)に南下していく。



炎天寺


炎天寺

住所は足立区六月、小林一茶が、頻繁に付近をウロツキ句を詠んだ
という炎天寺がある。
ここでも、出てくるのは、源頼義義家親子が戦った「前九年の役」
にまつわる伝説だ。
源義家の足跡と、源氏の氏神である八幡神社の由来がリンクする
というのはお約束みたいなもので、陣営を張って戦勝を祈願し・・・
なんて類のやつだ。
神仏分離以前は、おそらく、となりの八幡神社とは一体であったのだろう。
さらに、六月の炎暑だったことから、地名は六月村に、
この寺の名は「炎天寺」になったと、そんなような話らしい。



小林一茶ゆかりの寺として知られる、ここ炎天寺だが、境内に入るとそこには、かえる、カエル、蛙・・・フロッグ・・・
まず正面には、巨大な「福蛙」なるものが幅をきかせている。一応、ナデナデしておいたが、未だ福が来る気配はない。

炎天寺 炎天寺 炎天寺

「福蛙」の左手は墓地で、右手に池がある。

炎天寺 炎天寺

池の中心で相撲をとる“かえる"がいる光景。
一茶より、むしろ、“かえる寺"って感じの趣きか・・・

炎天寺 炎天寺 炎天寺
炎天寺 炎天寺

もちろん、小林一茶とのゆかりを主張するものもある。
(左)「やせ蛙まけるな一茶是にあり」定番の句碑。
もしかして、↑が“やせ蛙"?あたかも“かえる寺"になってるのは、この句のイメージに引きづられたものか・・・
(中)「蝉なくや六月村の炎天寺」。そのまんまだ・・・
(右)「かえる」のインパクトで存在感の希薄化が懸念される?主役小林一茶の雄姿。

小林一茶の句碑 小林一茶の句碑 小林一茶像

隣接する源氏ゆかりの「八幡神社」。炎天寺が別当寺院を努めていた。

八幡神社 八幡神社 八幡神社


住所は、六月から栗原へと変わる。
陸橋から竹の塚方面を望む光景だ。
下を走っているのは東武鉄道。
この後は、さらに東京方面(今も23区だけど)に南下して、
足立区では最もメジャーな寺院(推定)の西新井大師に向う。



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