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≪Chapter of Ikou lineup≫
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法受寺東岳寺白旗塚史跡公園炎天寺西新井大師


伊興遺跡公園


時代は、ぐわぁ〜っと遡って古墳時代。
とは言え、このなんとなく雰囲気を再現した感じの公園は平成生まれらしい。
きれいに刈り込まれた芝生に竪穴式住居はないだろう・・・って、まあ、そんなリアル路線を意図してるわけないか。
ここで古代遺跡の発掘が行われたんだって事のモニュメント的な公園なんだろう。

伊興遺跡公園

(左)ガラス越しに見える竪穴式住居の住人。
(中)川?
(右)土器の出土状況のレプリカ。祭祀が行われていた跡と推定されているらしい。

伊興遺跡公園 伊興遺跡公園 伊興遺跡公園

展示施設も併設されている。
「足立区教育委員会の足立区遺跡調査会」の建物らしい。

伊興遺跡公園 伊興遺跡公園 伊興遺跡公園

おそらく伊興の出身であろう古代人の皆さん。

伊興遺跡公園 伊興遺跡公園

伊興氷川神社


伊興遺跡公園に隣接する氷川神社に来た。この一帯のいわゆる村の鎮守ってやつだ。
足立区に氷川神社は鬼のようにある(各町内にありそうな気がするくらい)が、区内最古のものだと書いてある。
ここも古代の出土品が発掘されている伊興遺跡のフィールドだとかで、古墳の上に建っているという説が有力らしい。
創建時期は良く分からないが、氷川神社の親玉である大宮氷川神社から分霊してきた当時は、まだ東京湾が近く、
淵の入り組む地形から「淵の宮」と呼ばれたとある。

伊興氷川神社 伊興氷川神社

富士山の奉納額や浅間神社は、よくある富士講にちなんだものと思われる。
(右)日露戦役記念碑。乃木大将の揮毫だと書いてある。

伊興氷川神社 伊興氷川神社 日露戦役記念碑

再び寺町に戻る。
先ほど、正安寺、東陽寺、常福寺、易行院、本行寺などが並んでいた道の裏側(北側)を折り返すような感じだ。
更に、ギリギリ東京感が漂う。



長安寺、善久寺、浄光寺といったあたりを通過。
次は、何やら案内板の立っている法受寺によってみる。

長安寺 善久寺 浄光寺

法受寺(桂昌院の墓)


一見そうは見えないが、ルーツは平安時代に遡るという古刹の法受寺
ここには、五代将軍綱吉の生母桂昌院の墓所があると言う。
生類憐みの令の発信元だとか、玉の輿の語源だとか、そんなエピソードで有名な人物だ。
こんな足立区のはずれに?と、意外感はあるが、例によって震災によりここに引っ越してきたものらしい。
また、寺号と並んで「怪談 牡丹燈籠」がなんとかってのが立っている。
どうやら、この「怪談 牡丹燈籠」ゆかりの谷中「法住寺」と、桂昌院の菩提寺である浅草「案養寺」が合併し、
ここ伊興に引っ越して来て法受寺になったと言うことらしい。
(右)レレレのおじさん?

法受寺 法受寺 法受寺

(左)三遊亭円朝の落語の演目「牡丹燈籠」の碑だとか。
なんでも、谷中「法住寺」の時代の話で、幽霊の出てくる墓がある設定らしいのだが・・・
(右)でっかい布袋さんと、その他のミニ六福神のみなさん。

法受寺 法受寺

五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の墓所。
(中)中央の高いやつが桂昌院の墓。墓石には「桂昌院殿従一位仁誉興国恵光大姉」とある。
増上寺の徳川家霊廟にも合祀されていて、そちらが本来のものかと思わないでもないのだが、単に複数あるだけか?
(右)その右の右、「笠間城主 従四位下侍従因幡守藤原朝臣 本庄宗資 墓」とある。桂昌院の弟らしい。
その他にも、宮津藩や高富藩の本庄家藩主がいるようだ。

桂昌院の墓所 桂昌院の墓 笠間城主本庄宗資の墓

(左)関口流柔術四代宗家関口氏暁(弥太郎)の墓。初代関口柔心の三男で講談や時代小説に出て来るんだとか。
(中)沢村墨庵の墓。宮津藩の祐筆を務めていた書家なんだとか。

関口弥太郎の墓 沢村墨菴の墓 法受寺

ここまで、細かい道が多かったのだが、尾竹橋通りに出て広い道路に変わる。
この尾竹橋通りを少し東京方面(ここも一応東京だが)に南下すると、次の目的地東岳寺がある。


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