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HOME(イベント)<< 銀座・日本橋編(日本橋)
( Chapter of Kanda )

今回は、銀座4丁目から日本橋室町まで、旧東海道の中央通りを歩く。
東京でも有数の繁華街で、銀座はブランド街、日本橋はデパートの街のイメージだったが、今どきの商業施設が増えて来るにつれ、それぞれの街の個性は薄れ気味という印象もある。 このあたりは、江戸城にも近い交通の要所で、当時から金融街や商業地として経済の中心的な役割を担っていたようだ。
※ 江戸の地図=幕末の安政3年ごろ


東銀座駅から歌舞伎座の前に出てきた。
歌舞伎座は、明治22年に始まり、現在の建物は平成25年に建てられたものだ。
銀座4丁目の歌舞伎座が建つ場所は、江戸の木挽町で、熊本藩の屋敷地だった。
いま立っている、5丁目側は、采女ヶ原と呼ばれ、火除け地や馬場になっていたらしい。


今回のメインストリート中央通りに向かう。
江戸の地図では、途中に三十間堀があり、三原橋が架かっている。
江戸城造営に際して、周囲に木挽職人が集めれたことが木挽町の由来であるという。


中央通りと晴海通りが交差する銀座4丁目の交差点に出てきた。
中央通り沿いで、日本橋よりの銀座4丁目から1丁目は、江戸の新両替町4丁目から1丁目にあたり、 新橋よりの銀座5丁目から8丁目は、江戸の尾張町1丁目、2丁目、竹川町、出雲町であったらしい。
新両替町の由来は、江戸初期に銀貨を鋳造する役所「銀座」が置かれていたことだが、 江戸後期、安政の地図では「銀座」の記載は、元大坂町(人形町1丁目)にある。

銀座4丁目の和光ビルを見上げる交差点のこの風景が銀座のイメージだ。
主に高級時計や宝飾品などを商う銀座和光は、服部時計店(現、セイコーHD)の小売部門がルーツの商業ビルで、現在の建物は昭和7年に建てられたという。

(左)銀座5丁目側の三愛ドリームセンター。今回は、時間の都合上、5丁目方面には行かない。
(右)銀座和光と銀座三越。

銀座三越のライオンとショーウィンドウ。

4丁目には、明治2年創業の木村屋總本店や明治25年創業の山野楽器など、銀座生まれの老舗も残っている。

銀座3丁目の銀座松屋本店。
松屋は、明治に2年に横浜で創業された鶴屋呉服店をルーツとする老舗デパートで、呉服店から百貨店という流れは三越などと共通している。 現在の建物は、大正14年に建てられたものだが、改修を重ねたことで、当初の原型はほとんど留めておらず、歴史的建造物なのかは微妙なところだ。


ブルガリ、カルティエ、ダンヒル、ティファニーなどブランド・ショップが並ぶ銀座2丁目。

銀座1丁目の交差点まで来た。
このあたりも建っているのは、ブランドショップと商業ビルが中心だ。

銀座の端っこ「銀座通り口」の交差点。道路を渡ると京橋エリアに入っていく。
江戸時代には、江戸城外堀から八丁堀の間を流れる京橋川があり、そこに架かっていた橋が「京橋」だ。
(左)銀座1丁目交番。へんてこな屋根は大正時代の「ガス灯」がモデルらしい。
(右)銀座の端っこにある銀座コージーコーナー本店。
このビルの辺り、江戸の地図には「与作屋敷」と記載があるが、どうも地名や住所的なものらしい。


中央通り沿いの京橋3丁目から1丁目にかけては、江戸の南伝馬町3丁目から1丁目と、中橋広小路であったらしい。
伝馬町は、交通や輸送で必要な馬の手配などを行うもので、主要な街道に設置されていたという。
南伝馬町の他に、現在まで地名が残る大伝馬町と小伝馬町があった。

京橋3丁目に入ると、銀座1丁目交番のデザインの元になった外灯や京橋の欄干の遺構がある。

警察博物館なんてものがあったので見学してみる。

(左)京橋3丁目、東京スクエアガーデン。
(右)「京橋」交差点。

京橋2丁目、商業施設やオフィスなどからなる京橋エドグラン。
明治屋京橋ビルは、昭和8年に建てられた歴史的建造物で、中央区の有形文化財に指定されている。

京橋の終点、日本橋3丁目の交差点に差し掛かる。
このあたりは、江戸の中橋広小路だ。なんでも江戸初期には運河が通り中橋が掛かっていたが、埋め立てにより火除地となったのだという。 また、寛永元年に中橋の袂で、初代中村勘三郎が興行を催し芝居発祥の地とも言われている。