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仙台堀川を渡たり、住所は平野1丁目。清澄通り沿いの福祉センターの前に「滝沢馬琴誕生の地」なんていう表示がある。
ほんとうは、曲亭馬琴が正しいらしいのだが、本名が瀧澤興邦ということで混同されているらしい。
ここは江戸の後期、旗本松平信成の屋敷のあった場所で、馬琴は松平家の用人を務める家系に生まれたという。
表示板の下のオブジェは南総里見八犬伝の本が積み上がってるイメージなんだとか。
(左)道の向こう側は清澄3丁目で、建物後方の樹木は清澄庭園のもの。

滝沢馬琴誕生の地

間宮林蔵の墓


間宮林蔵の墓 間宮林蔵の墓

清澄通りからやや東に逸れて・・・適当に歩いて平野2丁目。
蝦夷地探検で有名な間宮林蔵の墓がポツンとある。
光と陰のある印象の人物で、 探検家として間宮海峡発見があり、
公儀隠密説としてはシーボルト事件が知られるところ。
表示板には、深川蛤町の家で没したと書いてある。



雲光院


雲光院


再び、やや適当に歩いて三好2丁目。
次に訪れたのは慶長16年(1611)創建の浄土宗寺院 雲光院だ。
ここは、徳川家康の側室 阿茶局の菩提寺なんだとか。
阿茶局は武田家家臣の血筋で、非常に才知に長け、家康から絶大な信頼を得ていたという。 大阪の陣で和睦の使者を務めるなど活躍し、側室でありながら側近としても重用されたようである。
家康亡き後も信頼は変わらず、徳川和子入内の際には守役として随行し朝廷より従一位民部卿を賜ったという。
写真には、それらしいのが写ってないが、墓地に阿茶局を供養する宝篋印塔があるらしい。



紀伊国屋文左衛門の墓


また、やや適当に歩いて三好1丁目。
ここに紀伊国屋文左衛門の墓なるものがある。
紀伊国屋文左衛門と言えば、みかんや材木の買い占めで財を成したとされ、吉原豪遊など伝説的なエピドードで知られる豪商であるが、
晩年は、これでもかというほど没落したとも言われている。
どこまでが、史実なのか良くわからない、とにかく派手なイメージの人物であるが、その墓は成等院という寺院の片隅にひっそりとある。
晩年を深川で過ごしたようだが、ここからほど近い清澄庭園が屋敷の跡地であるとも言われている。

紀伊国屋文左衛門の墓 紀伊国屋文左衛門の墓

霊厳寺(松平定信墓)


霊厳寺


続いて、すぐ側の白河1丁目にある霊厳寺によってみる。
この白河、三好、平野、深川といったエリアには寺院が集中していて、
いわゆる寺町と言える場所であろうか。
霊厳寺は、寛永元年(1624年)創建の浄土宗寺院で、檀林(関東に18あった僧侶養成機関)も置かれた有力寺院であったらしい。
境内には、寛政の改革を断行した、老中 松平定信の墓所があり、 地名の白河は、定信が陸奥白河藩主だったことに由来するという。
定信に関しては、朱子学に傾倒した時代錯誤の政策は改革に繋がらなっかという見方もあり、近頃では評価が揺らいでいる印象もある。



(左)本堂。
(右)江戸庶民にも親しまれたというの江戸六地蔵の5番目だとか。

地蔵菩薩座像 地蔵菩薩座像

史跡にも指定されている松平家の墓所。

松平定信墓 松平定信墓

江戸深川資料館


霊厳寺の近所(となりか)には江戸深川資料館がある。 この場所も江戸時代には、霊厳寺の境内だったものと思われる。
名前からしてローカルだが、どこの区にもある郷土資料館的な施設だ。
ここには、江戸時代の深川の町を再現したというセットがあり、長屋・問屋・掘割・船宿・火の見櫓などが復元されている。


江戸深川資料館 江戸深川資料館

江戸深川資料館 江戸深川資料館

江戸深川資料館 江戸深川資料館

資料館を後にする。
(右)資料館前の土産物屋。ちょんまげの店主が地元の名物って感じに見える。



深川といえば深川めし、深川丼のイメージもある。
(左)深川めしの店。やはり名物なのか列が出来ている。
(右)あさりの佃煮を売る店。




清澄通りへと戻ってきた。
道を渡ると清澄3丁目で、次に向かう清澄庭園がある。
清澄庭園は、下総関宿藩下屋敷にあった大名庭園の遺構で、
紀伊国屋文左衛門や三菱財閥 岩崎家ゆかりの場所として知られている。



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