≪Today's lineup≫
深川不動堂→富岡八幡宮→八幡橋→
法乗院→心行院→採茶庵跡→
間宮林蔵の墓→雲光院→
紀伊国屋文左衛門の墓→
霊厳寺→江戸深川資料館→
清澄庭園→芭蕉稲荷神社→芭蕉庵史跡展望庭園→
のらくろロード→芭蕉記念館→深川神明宮
深川界隈は運河の水運で栄えた街であるが、現在は遊歩道や公園となっている場所も多い。
富岡八幡宮のすぐ隣、八幡堀遊歩道には重要文化財だという鉄橋がある。
明治生まれのこの鉄橋は、京橋付近に弾正橋として架かっていたものを移設したのだという。
“鉄橋”という言葉のイメージとは裏腹に低いところに架かってる小さな橋で人間しか渡れないサイズのものだ。
道端に置かれた感じで、もう一つ鉄橋がある。
旧新田橋とあるこの橋は、昭和初期に木場に架かっていたものであるという。
門前仲町を後にして清澄通りを清澄方面に進む。
(左)清澄通りと永代通りが交差する門前仲町の交差点。
(右)清澄通りと葛西橋通りが交差する深川1丁目の交差点。
現在の住所では、深川は1丁目と2丁目があるのみ、深川不動堂は門前仲町であるし、富岡八幡宮は富岡1丁目にあった。
そして、深川2丁目の清澄通り沿いに、江戸庶民から親しまれたという深川ゑんま堂 法乗院がある。
法乗院は、寛永6年創建だという長谷寺系列の真言宗寺院でその主役は平成元年建立のハイテク閻魔なるものらしい。
(右)左手が閻魔堂で、右手が本堂だ。
(左)これがコンピューター制御の閻魔大王だ。賽銭投入口が分かれていて、それぞれ別の音声がながれるようだ。
左手の上に地蔵菩薩が載っているのだが・・・閻魔大王=地蔵菩薩とされているらしい。
(右)本堂の地獄極楽絵。天明四年(1784年)に江戸の宋庵という絵師によって描かれたものだとか。
法乗院となりにある心行院は、元和2年創建の浄土宗寺院だ。
福禄寿が祀られていて七福神めぐりで回るお寺みたいだ。
更に清澄通りを進み仙台堀川に架かる海辺橋のたもとまで来た。
道の対岸は福住2丁目で橋を渡ると清澄や平野といった住所になる。
道の向こうにプレハブみたいなものと、腰掛けた爺さんの像が見える。
こらが、どうやら松尾芭蕉像であるらしい。
手前には“採茶庵跡”とあり、なんでも
芭蕉の門人杉山杉風(魚問屋らしい)の別荘跡で
芭蕉が奥の細道に旅立つ前、しばらく住んでいたことになっているらしい。
清洲橋方向の川沿いは、芭蕉俳句の散歩道となっていて、代表的な句(たぶん)の立て札が並んでいる。