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今回の赤坂編では、赤坂駅から乃木坂駅までを歩く。
江戸時代、この辺りは大名屋敷や旗本屋敷など主に武家屋敷が並ぶ土地柄だったらしい。
赤坂といっても、赤坂通りを中心とした一部のエリアであるが、いつものように歴史的なスポットをいくつかまわってみる。


≪Chapter of Akasaka lineup≫
赤坂駅報土寺赤坂氷川神社檜町公園乃木神社青山霊園乃木坂駅


メトロの赤坂駅を出ると赤坂5丁目、TBSがある赤坂サカスだ。
この一帯は、江戸時代は、たぶん、赤坂新町で、安芸備後藩浅野家(松平安芸守)の中屋敷があったのだという。
と言ったところで、歴史スポット的なものは、何もないなさそうだが・・・

赤坂サカス 赤坂サカス

(左)TBSのビル。
(右)赤坂BIZタワー。

赤坂サカス 赤坂サカス

報土寺


赤坂通りを六本木方面に少し歩き赤坂7丁目、右手に現れる坂を上がると報土寺というお寺がある。
この坂には「三分坂」なる名前があり、一説には、急坂で車の運賃が銀三分プラスになったからだという。
この報土寺は、史上最強との呼び声高い江戸時代の力士「雷電」ゆかりの寺で、その「雷電」の墓所もある。
なんでも、消失した梵鐘を寄進したらしいのだが、それが、お上の意に沿わず鐘は没収、雷電は江戸追放になったのだとか。

報土寺 報土寺

(左)安永年間のもだという築地塀。
(右)現在の鐘は、明治41年のものらしい。

報土寺 報土寺

(左)本堂らしき建物。
(右)雷電為右衛門の墓。松江藩松平家のお抱え力士として、250勝10負という驚異的な記録を残した伝説の大関だ。

報土寺 報土寺


三分坂を下りて、赤坂通りへと戻る。
右手は、赤坂サカスや日枝神社方面で、左手は、乃木坂、六本木方面。
ただ、このあとは、後方の赤坂6丁目方向に進む。



本氷川坂


本氷川坂という坂に来た。
名前の由来は、昔、本氷川神社という神社があったらしい。
その本氷川神社は、現在、次の目的地である氷川神社に合祀されているのだという。
この道と氷川神社の境内を挟んで氷川坂という坂もあるらしい。



赤坂氷川神社


赤坂の鎮守 氷川神社は、そのルーツが平安時代と伝わる由緒ある神社で、徳川吉宗の時代に、ここに移ってきたのだという。
江戸期には、江戸七氷川なるものに、明治期には准勅祭社(東京十社)にラインナップされたステータスの高い神社でもある。
境内は、いかにも神社らしい薄暗く落ち着いた雰囲気で都心の喧騒から遮断された趣がある。

氷川神社 氷川神社

(左)季節的に単なる枯れ木にしか見えないが、樹齢400年だという天然記念物の銀杏。
(右)元禄の頃には、忠臣蔵で知られる浅野内匠頭夫人 遙泉院の実家、浅野土佐守邸があったんだとか。

氷川神社 氷川神社

(左)楼門。
(右)社殿。徳川吉宗が老中水野忠之に命じて建立されたという。

氷川神社 氷川神社

(左)太鼓橋。
(右)四合稲荷神社。四つの稲荷神社が合祀されているもので、近所に住んでいた勝海舟が名付けたのだとか。

氷川神社 氷川神社

(左)西行稲荷神社。火災除の御利益があるんだとか。
(右)赤坂氷川神社をあとにする。

氷川神社 氷川神社

住所的には、六本木をチラッと掠めながら赤坂9丁目に入る。前方にミッドタウンが見えてきた。
(右)赤坂サカスから運行しているらしい自転車タクシー的なもの。

ミッドタウン ミッドタウン

檜町公園(ミッドタウン)


東京ミッドタウンに隣接して檜町公園がある。
ここには、江戸時代、長州藩毛利家の下屋敷があり、その庭園は清水園と呼ばれた名園であったという。
現在も、日本庭園があるのだが・・・これは、日本庭園風の近代建築であり、大名庭園の遺構とは言えない気がする。


やっぱり、日本庭園には違いなのだが・・・まあ、寛げる空間ではあるかも知れない。


ミッドタウンの敷地を抜け、次の目的地である乃木坂方面へ向かう。



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